ハイリゲンブルートの手前でバスが故障 [チロル・ドロミテ]
あと少しで、オーストリーのハイリゲンブルートに到着というとき、バスが突然停まってしまった。
故障らしいので、全員降りるようにとのことだった。
牧歌的な場所で、のんびりするのも悪くないと思い、ザックをしょって外に出た。
犬を連れたおじさんが歩くのを、鎖につないでいないなぁと思いながら眺めたり、
観光客らしき人たちが、自転車に乗っているのを眺めたり、
普通の観光コースでは味わえないハプニングを楽しんでいた。
さらに、名物添乗員さんが、ポストバスに乗ってハイリゲンブルートまで行くというので、Adaはすっかりうれしくなって、いそいそと近くにあったバス停まで行き、時刻表を調べた。
そうすると、最終バスが間もなく来るではないか、ポストバスに乗りたかったのよ~。
以前、ザルツブルグからウォルフガング湖まで行くのにポストバスに乗ったことがある。
地元の人たちの足として走っているので、地元の人たちの普段の生活の一端を垣間見ることができる。
ポストというのは、郵便のことで、以前、郵便馬車が走っていたころからの名残である。
郵便馬車が車になり、人も乗せるようになった。今では、郵便物は運んでいないと思うが名前だけが残っている。
ポストホルンを鳴らして郵便物が来たことを知らせていたので、ポストホルンのマークがついている。
だのにー、名物添乗員さんは、ヤメタ~と言い始めた。
前言をひるがえすとは、なにごとだ~と思ったけど、なにか事故があったりすると、予定外の行動に保障はついていないので、保険の問題が発生する、ということらしい。
な~るほどね~。
ハイリゲンブルートまで、4~5kmではないかと思うので、歩いてもいいんだけど、歩いていて事故があってもやっぱり保険のことを考えるとまずいんだろうなぁ。
で、車がなおるまで、待つことになった。
間もなく、JAFの車がやってきた。
お孫さんもいるという運転手のマリオさんも修理にはげんでいる。
なんでも後輪のねじがとれてしまったとのこと。
一番、心配していると思われる名物添乗員さんは、状況把握のためにたたずんでいるが、なすすべもない。
間もなくなおると言われて、近くをぶらぶらした。
ハマナスが咲いているし、
ハマナスの赤い実もめずらしい。
小さな公園には、りんごが枝もたわわに実をつけていた。
ホテルに駐車してある車の屋根には、自転車がのっかっている。
ヨーロッパの人たちは、本当に自転車が好きだ。
ツアー仲間のきのこ博士が、きのこを見つけては、名前を教えてくれるのだが、書き留めないので、右から左へと忘れてしまった。
日本でもよくある赤まんまも、ここで見ると白に交じって、なんだか美しい。
近くの宿泊施設らしい建物は、チロルらしい壁絵が美しい。
景色だって、ヨーロッパらしくて、いいじゃぁない。
あら、菩提樹だ。
日本では見かけないので、以前、ドイツのヴァイカースハイムで見たときは名前がわからなかったが、めぎさんが教えてくれた。
持つべきはブログ友。
夕方の光が山にあたっている。結構、いいところだわ。
すぐ直ると言われて、1時間余りしたころ、ようやく車が動くようになった。
もちろん、その間、名物添乗員さんは、私たちに何度も状況報告をするために忙しくしていた。お疲れ様。
ハイリゲンブルートのシンボルである教会が見えてきた。
ようやくホテルにたどりついたときは、もう日が暮れていた。
ホテルの部屋は、コルチナ・ダンペッツォの2階つき、キッチン、ダイニングリビングつきという超デラックスな部屋との落差がひどくて、がっかりした。
気を取り直して散歩でもするかぁ。
教会がホテルの庭から見える。
ホテルの部屋は狭いけど、庭で日光浴ができるように椅子を並べている。
その庭に咲いていたゆり。
オーストリーで一番高い山グロースグロックナー [チロル・ドロミテ]
ハイリゲンブルートでの朝、ベランダから、うんと左の山を見上げる。
雲一つない青空に、グロースグロックナー山が遠くに見える。
今日は、グロースグロックナー山の近くまで行き、パステルツェ氷河を見に行くことになっている。
こんな青空を見たのは、本当に久しぶりだ。
グロースグロックナー山は標高3,797m、オーストリア最高峰の山だ。
パステルツェ氷河は、オーストリア最大の氷河だ。
富士山の標高は、3,776 mだから、富士山より20mほど高いことになる。
20年ほど前にフランスのエギーユ・デュ・ミディ展望台から眺めたモンブランが、4810mだから、人生で3番目に見る高い山になるかなぁ。
最高はタンザニアで見たキリマンジャロで、5895mだが、かろうじててっぺんが見えたきりで、あんまり見たという感じがしなかった。
バスは、山岳道路をぐんぐん登っていく。
ダムが、オリーブ色の水をたたえている。
氷河から流れる水は、青白く濁っている上に、氷河の底の土を削り取って、一緒に流れているから、こういう色になるのだろう。
グロースグロックナーが見えてきたが、薄い雲をまとっている。
これから登る道が山をぐるっと回っているが、雪よけの屋根がかかっている。
登ってきた道を振り返る。
最近はコストパフォーマンスが良くないので、アルプス近辺での放牧はあまりしなくなったそうだが、このあたりでは、まだ牛が遊んでいた。
白い腹巻をした牛が何頭かいて、笑ってしまう。
アイルランドではパンダそっくりの牛もいたっけ。
ここでバスを降りる。
1856年に皇帝フランツ・ユーゼフ一世は皇后エリーザベイトとここに来ているので、その名前が付いた展望台だ。
パタゴニアの巨大な氷河に比べると、ずいぶん違う姿だ。
老齢に鞭打って、生きながらえている感じ。
今日はお天気がいいから、みんなやってきている。
金髪でぴちぴちのおじょうさんだ。
このかんかん照りの中、帽子もなく、半袖で、腕はむき出しだ。
だいたい、氷河と土の境目がよくわからない。
7月だし、氷河は一番後退する季節でもある。
氷河から溶け出た水が、たまっている。
雲の影で、黒っぽくなっているところが、怪しい上に、灰色の土と水が同じ色なので、混沌としている。
地球創世記はかくもあろうかといった様子だ。
氷が溶けているのだろう。
氷が崩落した後なんだろう。
パステルツェ氷河の流れる谷 [チロル・ドロミテ]
オーストリアで一番高い山、グロースグロックナーのふもとに流れる、パステルツェ氷河を見に来た。
近くでみるために、フランツ・ヨーゼフ・ヘーエからさらに10分ほど歩いたところにあるケーブルで、谷に下りていく。
ケーブルを降りて、すぐに撮ったのが、これ。
2人のハイカーが氷河に向かって歩いている。一人は黒い上着に青いリュックを背負っている。
下の写真はウィキペディアから持ってきたもので、2005年の夏に撮影されたパステルツァ氷河だ。
Adaの写真とほぼ同じ位置から撮影したものと思われる。
見比べてみると、9年前と現在では、さらに氷河がやせ細ってきているのがわかる。
氷河は、毎年10~20mずつ、後退しているそうなので、9年前に比べると、150mは、後退したことになる。
ケーブルを降りたところに、氷河の後退の記録の図があった。
1852年の観測年から2009年までの観測地点の氷河の高さのデータを表示している。
ケーブルができたのは、1850年代だそうだが、そのころは、ケーブルで下りると、目の前に氷河が広がっていたそうだ。
それが、今では、そこからさらにどんどん下りていかないと、谷底には達しないし、氷河自体が後退してしまって、はるか遠くになってしまった。
ケーブルを降りて、上を見上げると、展望台が上に見える。
さらに下りていくと、1970年に氷河があったという標識があった。
さらにどんどん下りていくと、1980年はここまで、という標識が見えた。以下割愛。
ケーブルを降りた人たちは、このあたりを散策して、またケーブルで戻っていくようだ。
目の前にオーストリアでの最高峰グロースグロックナーが見えるし、
氷河もよく見える。
私たちは、谷底めざしてどんどん下りていく。
なかなか谷底には到達しない。
Adaの後に続く、グループの人たちも、氷河が山から運んだ岩の間を下りてくる。
岩の間からは、花が顔を出している。
一行は、途中で上着を脱ぐために止まってしまった。
日差しが強くて、暑いのだ。
日本人以外の方は、半袖半ズボンで帽子なしなのだが、我がグループときたら、長そで長ズボンに、アノラックを着ているし、帽子をかぶっている。
だいたい、どこにいっても日本人かどうかは着ているものでわかる。
日本人の女性は、必ず帽子をかぶっているし、手足は日焼けをきらって隠している。
遠くにケーブルが行き交っているのが見える。
サギゴケみたいだけど、ちょっとちがうなぁ。
ウメバチソウが咲いている。あまりみかけなかったけど。
ときどき、グロースグロックナーの山頂がくっきりと顔を出す。
あともう少しで谷底だ。
氷河は見えにくくなってしまった。だが、ここも100年前には、氷河の底になっていた地点だ。
急速に氷河がなくなって、いったい地球はどうなっていくのだろう。
ヨーロッパの氷河はどんどん縮小しているとは聞いていたが、実際に、痩せ衰えた氷河の姿を見ると、衝撃的だ。
ただちに何らかの手を打つ必要があることを痛感する。
さて、
このあたりまでくると、人影も少なくなるのだが、家族連れがやってきた。
ママは、ランニングシャツだ、あれでは、日焼けの水ぶくれができてしまいそうよ。
やっと、氷河の溶けた水が流れる谷底まで下りてきた。