コルチナ・ダンペッツォの町 [チロル・ドロミテ]
朝のどしゃぶりで始まった10kmのトレ・チーメハイキングも終わり、再び、コルチナ・ダンペッツォに戻ってきた。
右に少し見えているのが、ホテル。真ん中の道を進んでいくと、町の中心街に入っていく。
バスを降りて、山を見上げると輝いていた。
昨日も泊まったホテルに連泊だ。
部屋からは、きれいに山並みが見える。
キッチンとリビングダイニングルーム、それに2階にも、寝室とシャワーやトイレがついた超豪華な部屋に2連泊とはうれしいではないか。
2泊目は、夕食がついていないので、ホテルの部屋でゆっくりとくつろぐことにする。
日本から持ってきた玄米スープやコーヒーがあるから、のんびりしよう。
部屋の小窓から山を記念撮影。
食事の前に、町を散歩でもしよう。
山小屋風のホテルが並んでいる。
観光で成り立っている町らしく、こざっぱりしていて気持ちがいい。
どちらをみても山が見える。
山に夕日があたっていて輝いている。
あら、観光用の車。だれも乗っていない。
もう遅い時間だからね。
山側をぐるりとひとまわりしてまたホテルに戻ってきた。
これが、ベルビューホテル、泊まっているホテル。
今度は、町の探検だ。
教会があるところが中心なので、わかりやすい。
小さな町なので、にぎわっているのは、1本の道だけ。
可愛いこどもと大きな犬。
自転車で観光する人がまだいる。
犬を連れておしゃべりに興じているのは、地元の人かな。
最近は観光客も犬を連れ歩いているから、どうかなぁ。
町の中心からも山がすぐ近くにみえる。
ちょっと不思議な光景だ。
通りの真ん中にレストランの椅子が出ている。
歩いているうちにも、夕暮れがあたりを覆い始める。
かわりに、山が一日の最後の夕日を受けて、ほんのりと明らんでいる。
こっちの山も。
とうとう町のはずれの橋までやってきた。
ここらで引き返すことにしよう。
四方の山の異様なとんがりをみていると、あきない。
これもすごい形だ。
薄暗くなったので、そろそろホテルに帰ろう。
長い1日だった。
コルチナ・ダンペッツォの見晴台から [チロル・ドロミテ]
コルチナ・ダンペッツォでの2日目の朝を迎えた。
まず、お天気はどうかな。バルコニーから。
遠くの山が影絵のように浮かんでいる。
横の窓から近くの山の様子を見る。
なんとか、雨は降らないですみそう。
また、バルコニーから真正面の景色を見る。
うん、なんとかいけそう。
今日は、近くのチンクエ・トーリを3kmほど歩いて、イタリアから再び、オーストリーに行く。
ドロミテ最後の日だから晴れてほしい。
リビングにダイニングキッチン、それに2階までついた超デラックスホテルを引き払わねばならない。
リビングのソファは、昨日のどしゃぶりで濡れてしまった衣類を所せましとばかりに広げている。
おかげで、すっかり乾いた。
さて、バスはチンクエ・トーリをめざす。
コルチナから、ドロミテ街道を少し戻る感じになるが、目的地までは、1時間もかからない。
バスは、どんどん山道を登っていく。
昨日の夕方、散歩した教会が見える。
どんどん町が小さくなる。
コルチナも見納めになるので、バスよ停まれ、と念じたら、本当にバスは停まった。
写真ストップだって。
コルチナの町を一望のもとに見下ろせる絶景ポイントだ。
三角の立派な山は、Antelaoアンテラオ(3264m)かな。
左の山はPta-Sorapissソラピス山(3205m)かしら。
教会のあたりを望遠で拡大してみよう。
谷に開けた町であることがよくわかる。
右の遠くに、昨日の夕方見えていた山がまた見える。
Becco di Mezzodi山(2603m)という山らしいけど、どうかな。
町のはずれに、スキーのジャンプ台らしきものが見える。
三角形をしている。
この町では、1956年に冬季オリンピックが行われている。
猪谷千春選手が冬季オリンピックで日本人としてはじめてメダルをとった。
優勝はトニー・ザイラーだって!! なつかしい名前。
トニー・ザイラーは、ここで、アルペンスキー回転・大回転・滑降の金メダルを獲得し三冠に輝いている。
さて、私たちがいるのは、こういうところ。
道路わきに、ちょっとした出っ張りがあって、そこから町が見渡せるようになっている。
この道路は、観光の道路にもなっていて、自転車に乗った、明らかに観光客とみえるおじさんが、にこにこして通り過ぎたり、
バイクに2人で乗って、山道を楽しんでいたり、
車も、山をめざしている。
バスは間もなく、リフト乗り場に到着した。
このあたりは、スキー用のリフトが夏も観光客を運んでいる。
日本と違って、観光客が少なく、リフトにもすぐ乗れるのがうれしい。
リフトで行きついたところからハイキングスタートとなる。
リフトを降りると、絶景が広がっているではないか!
リフトの右側から。
リフトの左側も絶景が続いている。
チンクエ・トーリのハイキング [チロル・ドロミテ]
10分ほどスキー用のリフトに乗って、到着した展望台の標高は、2255m、スコイアットリ小屋があり、そこで、ハイキングの準備をする。
そのあいだ、素晴らしい景色を堪能した。青空が足りなかったな。
リフトとは反対側の景色、
左側に目を転じると、チンクエ・トーリの岩山がある。
花も鮮やか。
花を前景に山の記念写真。
さて、いよいよハイキングスタート。
3km、1時間ほどなので、のんびりしている。
お花がちょうどみごろで目を奪われる。
黄色いのはアネモネ系かしら。
歩く左側の景色は、リフトのある方角になる。リフトが見える。
歩く右側の景色。
青い花はフウロウ系かなぁ。
チンクエ・トーリの名前の由来である5つの岩がこれ。
チンクエは、イタリア語で5のこと。トーリは塔、つまり、5つの塔となる。
一番高い、トーレ・グランデは、2366m。
この岩を中心に、ぐるっと3kmほど歩く。
ぼんやりと、高い岩山を眺めていたら、その岩山を登る人がいて、しばらく、小休止となってロッククライミングの様子を眺めた。
写真には、7人いる。右上に2人、左側に3人、格闘中の1人に、地上に1人。
多分、地上にいる人が、ガイド格なんだろう。
なんて、怖い遊びをするんだろう、と思うが、私Adaのひとつ違いの妹は、この2週間前に、この岩を登ったらしい。
もちろん、アラセブだが、日本でもロッククライミングを趣味にしている。
ここは、ロッククライマーにとって、あこがれの場所らしい。
私たちは、そんな怖いことはしないで、その岩山をぬって景色を楽しみながら歩く。
アルペンローゼがまだつぼみを付けて咲いている。もう花期は過ぎたはずだが、標高が高いので遅いのかな。
ドロミテは、今からちょうど100年前には、オーストリーの領土だった。
1914年に勃発した第一次世界大戦当時、この地域の兵士は、オーストリー側兵士として従軍した。
だが、1918年に戦争が終結すると、ハプスブルグ家は追放され、ドロミテは、イタリアの領土になった。
戦争当時、ドロミテは、イタリア軍のオーストリーに対する前線基地だった。
だから悲惨な環境下に置かれていたのだろう。
その様子が今も、野外戦争博物館として、保存されている。
チンクエ・トーリのそこかしこに、当時の様子が残っている。
これは作戦基地かな。
外はのどかなんだけど。
弾丸を用意している。
もっとたくさん展示されていたが、あまり気持ちいいものでもない。
それに、イタリー側の視点で展示されていると思う。
現地の元、オーストリー人だった人たちは、どう思っているだろうか。
皆川博子さんの「死の泉」には、このあたりの、地下を結ぶ塹壕のはなしが出ていておもしろかった。
主人公がカストラート(去勢されて高い声を出せる男性歌手)というのも興味深かった。
そこに、ドロミテを含むチロル一帯の地下には、なにやら不気味な秘密ルートがあるらしいというはなしが出てくる。
ここの場所を見ていると、その虚構のおはなしも、本当に思えてくるほどだ。
「死の泉」は、第二次世界大戦のころを舞台にしている。
戦争という非日常においては、なんでもあり、というのが怖いですね。
平和な景色が目に沁みます。