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聖パトリックとアイルランド国花シャムロック [アイルランド]

 アイルランド観光は、タラの丘から始まった。
ダブリン郊外のホテルを後にして、バスで40分ほど。
バスを降りて、なだらかな丘陵を歩く。
朝の空気が気持ちいい。

しばらくすると、銅像がみえてきた。
聖パトリック像だ。
聖パトリックは5世紀にイギリスから布教のためにアイルランドにやってきた。
アイルランドの王を改宗させ、アイルランド全土にキリスト教を広めた。

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聖パトリックは右手にシャムロックを持っている。
シャムロックとは、クローバーのこと。
三つ葉のクローバーは、三位一体を表しているのだという。

さて、三位一体とは?
「三位一体の神」は人間の知恵を越えた方である。
三位一体の教えは、私たちに完全には理解できない神の真理である。
ん~~????これはなんだ。
ますますわからなくなった。

なんの抵抗も受けずにあっというまに、キリスト教を広めるとは、よほどの人だったのだろう。
今でも聖パトリックの命日である3月17日は、シャムロックにちなんだ緑を身に着ける。
世界中のアイルランド移民の子孫は、この日はお祭りだ。
Ada(私)の英語の先生は、アメリカ人だったけど、パトリックデイには緑色のケーキを作ってくれた。

聖パトリックの持っているクローバーはアイルランドのシンボルマークになっている。
三つ葉のクローバー、シャムロックはアイルランド国花なのだ。
アイルランドのおみやげは三つ葉のクローバーで飾られている。
アイルランドの飛行機、エアリンガスの尾羽には、三つ葉のクローバーが描かれている。

タラの丘への入口のところに、由緒ありそうな建物があったが、旧聖パトリック教会だとのこと、裏のほうにはお墓もあった。

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タラの丘は聖パトリックに見守られていた。
ここからタラの丘に入る。
羊のフンを踏まないように下を見て注意しながら歩く。
今の時間にはまだ羊は出動していない。

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なだらかな丘をゆるゆると歩いていくと、ほこらが見えてきた。

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古代の羨道墳(通路のある墓)とのこと。
新石器時代のものらしい。
中をのぞいてみよう。

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案外、奥行きもなくて小さいし、なにもない。
有史以前のお墓が残っているということは、ここがアイルランドで最も大切な場所だからなんだろうか。

この古墳は、ケルト人が作ったものではない。
ケルト人がやってくる、はるか前のものだ。
アイルランドは紀元前200年のころ、ヨーロッパ大陸からケルト人がやってきて、旧住民は滅ぼされてしまった。
にもかかわらず、旧民族の墓を、なぜ保存してきたのだろうか。

ここは人質の丘、と呼ばれている。
紀元2,3世紀のころ、ケルト人のコーマック王がここに人質をおいていた、ということだが、記録があるわけでもなく、伝承や神話という形で、現世まで、そのことが伝えられていること自体が驚くべきことだ。
アイルランドは妖精の国、神話が多いというが、なるほどね。


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スカーレット・オハラの心のふるさと、タラの丘 [アイルランド]

いよいよタラの丘の心臓部にやってきた。

運命の石と石碑が並んで建っている。
タラの王を選ぶとき、選ばれた王が王の正当性を示すためにこの運命の石である『ファルの石』に触れる。
王に応しいものが触れると石が雄叫びをあげるという。
私たちご一行様はみんな、この石に触れてみたが、石は静かに佇んだままだった。
写真奥は、運命の石、手前は石碑。
1791年、英国支配に対するユナイテッド・アイリッシュメンがここに集まった。
その後、慰霊碑が建てられた。

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では、ここで私も記念写真を。
帽子をかぶった影が私、エイダです。

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晴れた日には、ここからアイルランドの70%が見渡せるという。
今、晴れてますけどね。

1843年には、英国支配に対して昂然と戦った英雄、ダニエル・オコンネルが、ここで演説したという。

お、なんだか妙な木がある。
日本のおみくじを結びつけたような感じ。

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これは、妖精の木と呼ばれているそうだ。
願いを込めて身に着けているものを木に結ぶのだそうな。
木はサンザシ。

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どんなものが結び付けられているんだろう。
サンザシの実がなっている。
今は9月だから、大地は緑でも、季節としては実りの秋ということね。

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タラの丘には、ケルト十字の碑もあった。
十字架に丸く円をくっつけたのがケルト十字と言われているもので、アイルランド特有のものらしい。

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スカーレット・オハラの心のふるさとを訪問できて満足だ。
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラはアメリカ、アトランタのタラ農場で生まれ育った。

20年以上も昔、アトランタにある映画の撮影場所に行ったことがある。
そこには、スカーレットの住んでいたという家があった。
その家の前に、大きなタイサンボクがあって、その木は英語ではマグノリアということを、教わった。
しかし、モクレンも英語ではマグノリアだし、英語では、あんまり植物の名前を区別しないことに、驚いたものだ。

そのマグノリアのあった場所がタラ農場である。
なにもかもなくしたスカーレットが、最後につぶやいた言葉、
「タラへ帰ろう」
これは、タラ農場のことだと思っていたが、もっと深い意味があったのだ。
スカーレットの父親は、アイルランドからの移民だったのだ。
だから、タラへ帰る、ということは、心のふるさとである、アイルランドのタラを指す。

アイルランド移民は、世界中に散らばり、いまや、アイルランド本国よりも、はるかに多いアイアルランド系移民がいる。
タラの丘は、世界中のアイルランド系人種の精神的な中心地である。

アイルランドの人口は459万人(2013年)。
アイルランド系アメリカ人は、約3,600万人(総人口のおよそ12%)。
現在、全世界にはアイルランド系の人々が、およそ7000万人いると言われている。

つまり、アイルランド本国の15倍ほどのアイルランド系が世界中に散らばっている、ということだ。
このことは、アイルランドを理解する上で、重要なポイントになるのではないか。
ヨーロッパの辺境に位置しながら、英国支配に立ち向かい、北アイルランド紛争でももちこたえて、国家が存続できているのは、米国をはじめとして世界中のアイルランド系が本国を支援している、ということではないか。


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紀元前3000年の古墳、世界遺産のニューグレンジ [アイルランド]

タラの丘の近くには、古墳が多く点在している。
この近辺一帯が、世界遺産に登録されている。
そのうちの、一番の目玉がニューグレンジだ。
今から5000年前に造られた巨大な古墳である。
ケルト人は、紀元前200年ころにアイルランドにやってきたので、この古墳を作ったのは、ケルト人ではなく、先住民族である。
ケルト人は、先住民族を滅ぼしてしまったので、先住民族が、どんな人たちだったのかは、これらの遺跡を通じてしかわからない。

タラの丘からバスで数十分ほどでニューグレンジの専用バス亭に着く。
途中は、下の写真のように牛や羊が草を食む、のどかな景色が続く。

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ニューグレンジは厳しい立ち入り制限があって、写真の専用バスに乗らないと、入れない。
専用バスは、きっちりと人数をカウントしているので、日本人のご一行様といえども、グループの途中で、ハイ、次のバスね、ということになる。
ここの遺跡は人気があるのか、行列ができていて、バスを1,2台か待ってようやく乗り込めた。

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専用バスからもさらにのどかな景色が見える。
写真の川はボイン川という名前で、アイルランド人ならだれでも知っているという、ボイン川の戦いがあった、その川だそうだ。
古戦場までは行かなかったが、すぐ近くらしい。
その戦いは、1690年に勃発し、イギリス対、アイルランドとフランスの連合体の戦いだったのだが、イギリスが勝ってしまったために、その後、熾烈なイギリスによる搾取がさらに強まった、という歴史的転換点になる戦いだったとか。
日本でいうと関ヶ原の戦いといったところかしら。
1800年代に入ってアイルランドはジャガイモの不作が続き飢饉となったということになっているが、実際には、イギリスによる搾取で、アイルランドのジャガイモはイギリスに持って行かれた、ということらしい。

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バスは10分ほどで遺跡のふもとに到着した。
おわんをかぶせたような形がニューグレンジ遺跡だ。
ここで、さらに入場の予約時間まで、時間待ちをする。

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下の写真は、古墳の入り口。

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後ろを振り向くと、干し草のロールが積まれている。

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ようやく入場時間となり、入口に近づく。
手前に大きな石があり、ぐるぐる模様が描かれている。
その奥に入口があり、その入口の上に石が置かれている。
さらにその上に小さな窓がついている。
この小さな窓から、冬至には古墳の奥まで光が届くしかけになっているそうだ。
エジプトで聞いたはなしとおんなじだ。

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中は、人がやっと通れるほどの狭さ。
これでは入場制限も当然だ。
通路の長さは19mというが、長く感じた。
奥には3室あり、儀式用の石の鉢があった。
接着剤もない時代に、石を積み上げただけの建造物であるが、石が外に傾斜していて、5000年の間、雨漏りもしないような、造りになっているそうだ。

入り口の巨大な石の模様は、5000年前に刻まれたものだ。

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古墳を守る壁の石は、修復されて新しいものになっていた。

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修復されないで元のままのところもある。

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帰りは、また専用のバスに乗って戻り、ビジターセンターに行く。
ビジターセンターには古代の暮らしや、遺跡発掘の展示がある。
下の写真はその展示のひとつ。
奥にニューグレンジの古墳がみえる。

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この展示にある模型の古代人は、現在のアイルランド人の祖先ではない。
私たち、日本人は、日本にある遺跡は、私たちの直系の祖先が造ったもの、と当たり前のように考えているが、これは稀有なことだということがわかる。
今のアイルランド人の祖先はどこからやってきたのだろうか。
ケルト人は有史以前には、ヨーロッパ中に住んでいたが、だんだん辺境に追いやられていった、という。


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