スカーレット・オハラの心のふるさと、タラの丘 [アイルランド]
いよいよタラの丘の心臓部にやってきた。
運命の石と石碑が並んで建っている。
タラの王を選ぶとき、選ばれた王が王の正当性を示すためにこの運命の石である『ファルの石』に触れる。
王に応しいものが触れると石が雄叫びをあげるという。
私たちご一行様はみんな、この石に触れてみたが、石は静かに佇んだままだった。
写真奥は、運命の石、手前は石碑。
1791年、英国支配に対するユナイテッド・アイリッシュメンがここに集まった。
その後、慰霊碑が建てられた。
では、ここで私も記念写真を。
帽子をかぶった影が私、エイダです。
晴れた日には、ここからアイルランドの70%が見渡せるという。
今、晴れてますけどね。
1843年には、英国支配に対して昂然と戦った英雄、ダニエル・オコンネルが、ここで演説したという。
お、なんだか妙な木がある。
日本のおみくじを結びつけたような感じ。
これは、妖精の木と呼ばれているそうだ。
願いを込めて身に着けているものを木に結ぶのだそうな。
木はサンザシ。
どんなものが結び付けられているんだろう。
サンザシの実がなっている。
今は9月だから、大地は緑でも、季節としては実りの秋ということね。
タラの丘には、ケルト十字の碑もあった。
十字架に丸く円をくっつけたのがケルト十字と言われているもので、アイルランド特有のものらしい。
スカーレット・オハラの心のふるさとを訪問できて満足だ。
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラはアメリカ、アトランタのタラ農場で生まれ育った。
20年以上も昔、アトランタにある映画の撮影場所に行ったことがある。
そこには、スカーレットの住んでいたという家があった。
その家の前に、大きなタイサンボクがあって、その木は英語ではマグノリアということを、教わった。
しかし、モクレンも英語ではマグノリアだし、英語では、あんまり植物の名前を区別しないことに、驚いたものだ。
そのマグノリアのあった場所がタラ農場である。
なにもかもなくしたスカーレットが、最後につぶやいた言葉、
「タラへ帰ろう」
これは、タラ農場のことだと思っていたが、もっと深い意味があったのだ。
スカーレットの父親は、アイルランドからの移民だったのだ。
だから、タラへ帰る、ということは、心のふるさとである、アイルランドのタラを指す。
アイルランド移民は、世界中に散らばり、いまや、アイルランド本国よりも、はるかに多いアイアルランド系移民がいる。
タラの丘は、世界中のアイルランド系人種の精神的な中心地である。
アイルランドの人口は459万人(2013年)。
アイルランド系アメリカ人は、約3,600万人(総人口のおよそ12%)。
現在、全世界にはアイルランド系の人々が、およそ7000万人いると言われている。
つまり、アイルランド本国の15倍ほどのアイルランド系が世界中に散らばっている、ということだ。
このことは、アイルランドを理解する上で、重要なポイントになるのではないか。
ヨーロッパの辺境に位置しながら、英国支配に立ち向かい、北アイルランド紛争でももちこたえて、国家が存続できているのは、米国をはじめとして世界中のアイルランド系が本国を支援している、ということではないか。
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