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紀元前3000年の古墳、世界遺産のニューグレンジ [アイルランド]

タラの丘の近くには、古墳が多く点在している。
この近辺一帯が、世界遺産に登録されている。
そのうちの、一番の目玉がニューグレンジだ。
今から5000年前に造られた巨大な古墳である。
ケルト人は、紀元前200年ころにアイルランドにやってきたので、この古墳を作ったのは、ケルト人ではなく、先住民族である。
ケルト人は、先住民族を滅ぼしてしまったので、先住民族が、どんな人たちだったのかは、これらの遺跡を通じてしかわからない。

タラの丘からバスで数十分ほどでニューグレンジの専用バス亭に着く。
途中は、下の写真のように牛や羊が草を食む、のどかな景色が続く。

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ニューグレンジは厳しい立ち入り制限があって、写真の専用バスに乗らないと、入れない。
専用バスは、きっちりと人数をカウントしているので、日本人のご一行様といえども、グループの途中で、ハイ、次のバスね、ということになる。
ここの遺跡は人気があるのか、行列ができていて、バスを1,2台か待ってようやく乗り込めた。

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専用バスからもさらにのどかな景色が見える。
写真の川はボイン川という名前で、アイルランド人ならだれでも知っているという、ボイン川の戦いがあった、その川だそうだ。
古戦場までは行かなかったが、すぐ近くらしい。
その戦いは、1690年に勃発し、イギリス対、アイルランドとフランスの連合体の戦いだったのだが、イギリスが勝ってしまったために、その後、熾烈なイギリスによる搾取がさらに強まった、という歴史的転換点になる戦いだったとか。
日本でいうと関ヶ原の戦いといったところかしら。
1800年代に入ってアイルランドはジャガイモの不作が続き飢饉となったということになっているが、実際には、イギリスによる搾取で、アイルランドのジャガイモはイギリスに持って行かれた、ということらしい。

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バスは10分ほどで遺跡のふもとに到着した。
おわんをかぶせたような形がニューグレンジ遺跡だ。
ここで、さらに入場の予約時間まで、時間待ちをする。

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下の写真は、古墳の入り口。

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後ろを振り向くと、干し草のロールが積まれている。

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ようやく入場時間となり、入口に近づく。
手前に大きな石があり、ぐるぐる模様が描かれている。
その奥に入口があり、その入口の上に石が置かれている。
さらにその上に小さな窓がついている。
この小さな窓から、冬至には古墳の奥まで光が届くしかけになっているそうだ。
エジプトで聞いたはなしとおんなじだ。

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中は、人がやっと通れるほどの狭さ。
これでは入場制限も当然だ。
通路の長さは19mというが、長く感じた。
奥には3室あり、儀式用の石の鉢があった。
接着剤もない時代に、石を積み上げただけの建造物であるが、石が外に傾斜していて、5000年の間、雨漏りもしないような、造りになっているそうだ。

入り口の巨大な石の模様は、5000年前に刻まれたものだ。

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古墳を守る壁の石は、修復されて新しいものになっていた。

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修復されないで元のままのところもある。

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帰りは、また専用のバスに乗って戻り、ビジターセンターに行く。
ビジターセンターには古代の暮らしや、遺跡発掘の展示がある。
下の写真はその展示のひとつ。
奥にニューグレンジの古墳がみえる。

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この展示にある模型の古代人は、現在のアイルランド人の祖先ではない。
私たち、日本人は、日本にある遺跡は、私たちの直系の祖先が造ったもの、と当たり前のように考えているが、これは稀有なことだということがわかる。
今のアイルランド人の祖先はどこからやってきたのだろうか。
ケルト人は有史以前には、ヨーロッパ中に住んでいたが、だんだん辺境に追いやられていった、という。


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コメント 1

めぎ

5000年前と聞くと本当にロマンをかき立てられますね。
by めぎ (2014-01-13 18:36) 

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