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キルケニーはレッド・バトラーのふるさとだった [アイルランド]

キルケニーは中世アイルランドの中心都市だったので、アイルランドの中では中世的雰囲気が最も多く残る町らしい。ここで何日か、のんびり過ごせるといいと思うのだが、もう、今日は、ダブリンに戻る日になってしまった。で、キルケニー城と聖カニス大聖堂だけを見学する。本格的な雨が降っていて、朝の散歩もできず、カメラもあきらめよう。

まず訪れたのは、キルケニー城。13世紀にペンブルク伯爵のウィリアム・マーシャルが建設、と言われても、フーンとうなづくだけ。それを14世紀にバトラー家が購入し、その後600年間、居城とし、1967年にキルケニー市に売った。

え、バトラー!!、あのレッド・バトラーのバトラー家ですって!!!
バトラーという名前もアイリッシュ系らしい。

広い芝生から、キルケニー城をみる。

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ウィーンのシェーンブルン宮殿を小ぶりにして、色を抜き、装飾をすべてはぎとって、ごつごつさせたような造りだ。13世紀に建った当時からこのような姿ではないと思うが、昔のお城としては、居住性が強く感じられる。600年の間にこのような姿になっていったのだろう。

以前は、アイルランドのお城特有の円筒のタワーと呼ばれる建物が4つあったらしいが、クロムウェルの侵攻で破壊されたらしい。また、クロムウェルが出てきた。このキルケニー城が廃墟でないことが、とてつもなく偉大なことのように思えてくる。

どうして、クロムウェルの時代を経たにもかかわらず、バトラー家は、この城に居続けることができたのだろうか。

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下の写真の人が吸い込まれているところが、見学コースの入口になる。

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さて、中に入ると、ビデオで修復中の様子などを見せてくれる。写真でみると、以前はかなり傷んでいたことがわかる。
展示は、バトラー家の豪勢な家具があるわけではなく、なにもなかった、というか、家具などはあったが、それは展示のために改めて買い集められたものなんだそうだ。それというのも、1967年にバトラー家がキルケニー市に「アイルランドには、遺跡が多すぎる、バトラー城を遺跡にしてはいけない」といって、建物を寄贈したときに先立ち、家具などは1935年のオークションで売ってしまったそうだ。

もうひとつの出口から外に出る。

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入ったところと同じような色の建物なので、どこが正面なのかわからない。

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階段のある入口。

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司馬遼太郎氏いわく、アイルランド人は百敗の民。いつも負けてばかり。だが、自分では負けたとは思っていないのが、アイルランド人の特徴だ、と愛情をこめて書いている。確かに、紀元前200年にアイルランドに来たケルト人は、その後、ノルマン人の海賊に荒らされ続け、その後はイギリスに荒らされ、クロムウェルに完膚なきまでやっつけられている。いまだに北アイルランドは占領されたままだ。アイルランド人が勝ったというのは聞いたことがないわね。いや、ケルト人がやってきたときに、先住民族を滅ぼしている。

バトラー家がなぜ、クロムウェル後もここに住み続けることができたのかは、調べてもわからなかった。クロムウェルがやってきたときに、バトラー家の当主は、抵抗勢力のトップであったが、降伏し、当主自身は、外国に逃亡した、ということまではわかった。だが、城を没収されなかったのはなぜだろう。

レッド・バトラーも影の多い人間として描かれていた。そもそもアメリカにいたということは、なにかあったからアメリカに渡ってきたのだろう。

「風と共に去りぬ」は、何度も本を読み、映画も何度もみた。にもかかわらず、アイルランド移民の物語という解釈は、まったく気づかないままだった。だが、アイルランドから「風と共に去りぬ」を思い返すと、あれは、アイルランド移民の物語だったことがわかる。移民たちはアメリカ南部で、なんとか生きていく土台を再構築したのだが、アメリカの南北戦争によってその土台を壊されていく。バトラーに去られても、家を焼かれても、負けてたまるものか。スカーレット・オハラは立ち上がる。、

「タラへ帰ろう」

「明日のことは明日考えよう」

全世界の女性が、スカーレット・オハラに魅せられるのは、この力強さだ。

スカーレット・オハラはアトランタのタラ農場で生まれた。だが、タラとは、アイルランドの原点であるタラの丘のことだったのだ。アイルランドを追われ、アメリカ南部でも家を焼かれ、バトラーに立ち去られる。それでも力強く立ち上がる。負けばかりの人生だけど、自分では負けだとは思っていない。タラに帰って出直すのだ。

司馬遼太郎が書いているように、アイルランドの国そのものの物語みたいだ。百敗の民にもかかわらず、自分では勝ったつもりになっている。スカーレット・オハラの叫びはアイリッシュの叫びそのものなのだ。

レッド・バトラーもスカーレットと同じように、アイリッシュとして生きるのに懸命だったのだ。物語では、どこからやってきて、どこへ行ったのか、秘密めいて、あまり詳しく書いてなかったと思う。レッド・バトラーもいつも威勢よかったが、彼も百敗の民の一人なんだ、きっと。

同じように、このお城、キルケニー城の持ち主、バトラー家も背景はよくわからないが、とにかく負けないで生き延びてきたのだ。アイリッシュの本領発揮で生きてきたのだろう。

シンプルな庭園に噴水が出ているが、雨が降っているので、歩き回る気もおきない。バラの花とお城を一緒に写したりできたのに。

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この銅像の女性がだれなのかわからないけど、今までアイルランドで女性の銅像はみなかったように思う。なんだかいいじゃない。

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キルケニー城を出て、これから聖カニス大聖堂へ向かう。町の中を500mあまり歩く。

アイルランドらしく、清掃の機械は緑。

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石畳に白い模様は化石ですって。

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古い町らしく、ヨーロッパの旧市街の中みたいに狭い通路を歩いていく。

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また低いトンネルをくぐる。

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カラフルな街並み。

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あら、ワンちゃん、放し飼いでもいいのね。

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