コネマラ国立公園からゴールウェイへ [アイルランド]
コネマラ国立公園のダイヤモンドヒルの山腹を1時間あまり、ゆっくりと楽しんで、バスは、今宵の宿泊予定のゴールウェイに向けて出発した。お天気は、曇り空だったが、バルナベルグ湾まで見通せて、ちょうど良いハイキング日和だった。バスの運転手さんの間違いで、国立公園をぐるっとまわってしまったのだったが、1時間ほどの遅れは、日没にも十分間に合う時間だったので、それもよかった。
バスはしばらく国立公園の中を走る。
今、バスはアイルランドの西の海岸沿いに南下している。この近くの東のほうには、コングという村があって、映画作りで有名らしい。今回は残念ながらコングへは行かない。
映画監督のジョン・フォードの父親は、アイルランド出身だ。ジョン・フォードは、アカデミー監督賞を4回ももらっているのだが、そのうちのひとつ、「静かなる男」は、コングで撮影されたそうだ。ジョン・ウェインが主役で1951年撮影。アイルランドへの強い思い入れを持って作ったという。イギリスからきた撮影のスタッフがあまりの景色のよさに映画撮影もままならかったという逸話も残っているそうだ。いつか映画をみてみたいものだ。
ジョン・フォードは、自分のルーツを探るために、アイルランドに行き、父親の甥に会いに行くのだが、そのとき、その甥は、イギリスから首に賞金をかけられ、この地域に潜伏していた民族運動家だったそうだ。それでも会いに行ったほどだから、よほど、アイルランドにこだわっていたのだろう。ジョン・フォードが甥を探していたのは、1920年のころだから、アイルランド独立戦争勃発の1922年のちょっと前のことになる。
ジョン・ウェインもアイリッシュ系だが、その相手役を演じたモーリン・オハラも、これまたアイリッシュ系。
ちなみに、オ・・という名前はアイルランド系だそうだ。オというのはなになに家というくらいのニュアンス。「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラもそうだ。オドネル、オコナーなんていうのもアイルランド系。
アイルランドは泥炭が豊富にとれるので、家庭でも泥炭を燃料にしてきたそうだ。その泥炭を採掘しているところで、写真ストップになった。
泥炭を採る現場は、小さい規模なので、きっと、家庭用に近くの住民が掘っているのだろう。
で、写真ストップの間、肝っ玉母さんのような愛すべき運転手さんは、タブレットで他の場所の写真を撮っていた。
再び、バスは人里離れたところを走る。
こんなに風光明媚なところに家が1軒も見当たらないというのが、いい。
もう、夕方の5時をまわっているので、少し、光が弱くなってきた。
雲は低い。
6時をまわったころ、ゴールウェイが近づいて、民家がみえてきた。
アイルランドの西の地方の風景としてよく写真に出てくる、石がきが積まれている。
この石垣は、土地の所有区分かと思っていたのだが、そうではなくて、土地がやせていて、石ころばかりなので、土が風で飛ばされないように、そして、生えてきた草や野菜の芽が定着するように、石垣を作っているのだそうだ。
ゴールウェイの市内に入ってきた。大学生の退け時かな。
以前、職場にアイルランドからやってきた青年が何人かいて、そのうちの一人が、ゴールウェイから来た、と言っていた。なぜ、はるばる日本にまで働きにやってくるのだろう、と思っていたのだが、アイルランドは大飢饉以来、海外に出ていくのはごく普通のことになっているようだ。カトリックなので、子だくさんだから人は豊富なのだ。それに、1990年ころの、アイルランドの失業率は17%と聞いていたので、アイルランドには、職はなかったのだ。
だが、当時、アイルランドはメアリー・ロビンソンという女性の大統領が頑張っていた。その後も結局20年間というもの、女性の大統領が3代続き、経済を改善してきた。今では出て行った人材を呼び戻しているようだ。
川で釣りをしている人がいる。鮭ものぼってくるらしい。
ホテルに着いたのは7時前。
歩いたのでギネスがおいしかった。右の写真は、マッシュルームスープ。こちらのスープは本当においしい。
野菜はにんじん、カリフラワー、ブロッコリーをゆでたものをテーブルでシェアした。右はアイリッシュシチュウ。
夜、8時をまわっていたと思うが、夕焼けがきれいだった。こちらでは曇り空が多いので、あまり夕焼けにはお目にかからなかったが。
左の奇妙なものは、サーカスのテント。
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