スライゴの町と子供たちと巨大な豪華ホテル [アイルランド]
朝のデリー城壁観光、ドネゴールでの昼食休憩を兼ねた、ドネゴール城、フランシスカン修道院跡の見学、そして、ドラムクリフでのイェイツのお墓のあるドラムクリフ教会見学と、アイルランドを少しずつ南下しながら、夕刻に本日宿泊予定のスライゴに到着した。
ちょうど、学校の終業時間と重なっていたようで、バス停には、高校生らしい子供たちが、いっぱい。
写真の奥にみえるレンガの建物は、イェイツ記念館、これから、そこを、ちらっと見学しにいく。
子どもたちは、ガラポーク川の護岸壁に座っていてあぶなっかしいことこの上ない。どこの子供たちもおんなじだ。
スライゴの町を流れるガラポーク川は透き通った茶色だ。アイルランドは泥炭がとれるので、それを燃料にしてきたという。その泥炭の色が川の色になっている。
町中を流れる川の両岸はちょっとした散歩道になっている。
そこで、出会った親子が、すこぶる愛想がよくて、しばし遊んでしまった。
本当に子どもはかわいい。
写真の許可をもらって何枚も写真を撮った。
河岸にあったタイルのベンチは、スペインのガウディが造った公園を思い出させる。ゴミ箱は黒の鉄製。町全体がこざっぱりしている。
カラフルなお店。もう夕方5時をまわっていたので、人通りが少なくなってきた。
町の交差点には、イェイツの銅像があった。マントみたいな服を着て、足が長く、かっこいい。イェイツの詩は、森や湖やケルト的な雰囲気に満ちており、アイルランドを代表する作家だと言われているだけあって、今でも国民に愛されていることがわかる。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、イェイツとほぼ同時期のアイルランド出身で、耳なし芳一や、雪女のような神秘的な怪談を書いている。イェイツの作品もきっと、そのような雰囲気があるのだろう。
小1時間ほど、町中をぶらぶらと歩いて、お店をのぞいてまわった。雨が降りそうだったが、傘をささないですんだ。いつもこんなお天気なんだろう。
さて、ホテルはスライゴからバスで10分ほどの丘の上にある。
外見のあまりの豪華さに度肝を抜かれた。写真では全体の半分も写っていないのだ。
昔、病院だった建物をホテルに改装したそうだ。そんなこと、日本では考えられない。
1855年に、精神病院として建てられた歴史的建造物だって! 160年も前の建物なんだ~。
多い時には1000人以上の患者さんが入院生活を送っていたという、聖コロンバ精神病院だったのですって…。
20世紀後半になり、患者数の減少、建物の老朽化が進み、1992年に病院は閉鎖。4500万ユーロかけて修復・改装が行われ、2005年にホテルとしてオープンしたというのが、表向きの解説。
アイルランドの独立は1916年だから、この建物ができた当時、アイルランドは、イギリスの支配下にあったはずだ。
つまりこの建物は、イギリスの精神病院として建てられたのだ。悪く勘ぐると、アイルランドの政治犯をここに収容したのではないかとも考えられる。人口500万人に満たないアイルランドで、1000人も収容する精神病院なんて、考えられないではないか。普通の病院としてもこれだけの規模の病院は使いこなせないだろう。
アイルランドのいわゆるじゃがいも飢饉は、1845年から4年間続いた。それから10年後に、この建物が建てられている。アイルランドの人口が半減するような飢饉の中で、このような豪華な建築がされたという異常さをどうとらえればいいのだろうか。
17世紀以降のイギリスによるアイルランド支配のすさまじさを感じないではいられない。
スライゴの街並みがこじんまりとしていてかわいいのに比べて、病院だったという、ばかでかい建物のふつりあいの謎が解けたような気がする。
まぁ、ともかく、ホテルは病室だったとは思えない快適さだし、スライゴ郊外の丘の高いところにあるので、ひろびろしていて気持ちがいい。
ビールもおいしく入れてくれる。
また、写真を撮り忘れてギネスを一口飲んでしまった。
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