妖精、幽霊、お化けの好きなイェイツをはぐくんだドラムクリフ [アイルランド]
アイルランドの西海岸にあるドネゴールでお昼休憩の後、バスは、スライゴに向かうが、途中にあるドラムクリフ教会に寄った。 ここは、アイルランドのノーベル文学賞受賞者のイェイツの祖父が司祭をしていたところで、イェイツは子供のころ、ここで過ごしていたそうだ。
入口を入ったところにイェイツがしゃがんでいる像があり、イェイツの詩が地面に刻まれていた。
イェイツは、ここに埋葬してほしいと願っていたそうだ。
とても簡素なお墓だ。
遠くの山は、屋島のような形をしていて、雲がたれさがっている。
神秘的な雰囲気が漂っていて、説明によると、妖精でもでてきそうなこのような空気がイェイツの精神構造をはぐくんだらしい。
イェイツと言われても、読んだことがないので、さっぱりわからないのだが、同じくアイルランド出身の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と似通ったテーマを書いているそうである。
小泉八雲はダブリンで幼少期を過ごしたそうである。日本に来て出雲のあたりに住み、幽霊やお化けのはなしを書いている。イェイツも妖精やお化けが好きだったらしい。
そもそもアイルランドは妖精の国と言われているのだ。そのアイルランドを代表する作家がイェイツということね。
イェイツは小泉八雲より10年ほど遅く、同じくダブリンで生まれ、父親がロンドンで仕事をしていた幼少期に母親の実家の、ここで育った。 この間にケルト的な霊性を毛穴のすみずみまで吸い込んだ、と司馬遼太郎は書いている。
ここは、聖コロンバをたてまつるプロテスタント系だという。 またもや、頭が混乱する。
アイルランドはカトリックだと言ってたでしょっ!!!
教会入口の白鳥の素敵なドア。
中の雰囲気は現代風ですっきりしている。
祭壇のきれいな模様はなんだろう。
石の壁の上には、木組みの屋根に小さなパイプオルガン。
窓も簡素。
黄色のステンドグラスはめずらしい。
今、調べてみてわかったことだが、ここは、アングリカン・チャーチと呼ばれる種類の教会らしい。
イェイツはアングロアイリッシュと呼ばれる人種になるらしい。イギリスからの入植者で、富裕層だった人たちをそう呼ぶのだそうだ。
そういう人たちのための教会が、アングリカン・チャーチかな。
イングランド国教会は、ヘンリー8世からエリザベス1世時代の宗教改革で成立したイングランド国王(女王)を首長とする教会だ。イングランドの植民地など、各地にイングランド国教会を母体とする教会が生まれ、アングリカン・チャーチと呼ばれているそうだ。日本では聖公会とも呼ばれ、立教大学は聖公会の系譜だそうである。
アングリカンはプロテスタントに分類されるが、カトリックとカルヴァン派プロテスタントのハイブリッド教会とのこと、難しいねぇ。
当初はイングランド人を対象にしたイングランド国教会は、カトリック(ローマ)とカルヴァン派(ジュネーブ)の間を揺れ動きながら、17世紀に現在の形に落ち着いたとか。
デリーの聖コラムズ(コロンバ)大聖堂は、アングリカン・チャーチになるようだ。アングリカンとは、アングロサクソン、つまり、イギリスということかしら。
もともとカトリックだったヘンリー8世(1491年 - 1547年)が、離婚するために離婚禁止のカトリックをやめて自分で作ったイギリス国教会なので、カトリックの雰囲気が残っているのは当然なのだった。
ついでにヘンリー8世は、6人の妃をとっかえひっかえしている。
聖コロンバは6世紀のカトリックの聖人で、父親はアイルランド人、母親はスコットランド人だったというからアイルランド、イギリスの両国につながる。そういう意味でも、デリーのイギリス国教会の名前に持ってくるのは都合がよかったのかもしれない。
ヘンリー8世、クロムウェルの侵略、イギリスによるアイルランドのカトリック破壊、イギリスによる支配、という歴史的な線がつながってきた。
この教会は、プロテスタント、といいながら、下の写真は10世紀のケルト十字のお墓もある。そのころプロテスタントはなかったはずだから、もとはカトリックだったのかしら?
宗教のことは、ややこしくてにわか勉強ではよくわからないが、それがわからないと、イギリスとアイルランドの対立抗争の本質がわからないのだろう。
庭のさんざしの実は昔からあったんだろうね。
女子高生かな。
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