エビータの眠るレコレータ墓地 [パタゴニア]
ブエノスアイレス市内の一等地にあるレコレータ墓地に着いたのは、夕方の5時ころ。
ここは、1822年にできたブエノスアイレス最初の墓地だ。
ここは、1822年にできたブエノスアイレス最初の墓地だ。
金持ちや有名人は競ってここに墓を作っているそうだ。
入口あたりは、にぎやかな公園のようになっている。
木になったつもりのお姉さん。
銅像になったつもりの人はヨーロッパでときどきみかけるが、木になったつもりの人ははじめてなので、しげしげと見入った。
銅像になったつもりの人はヨーロッパでときどきみかけるが、木になったつもりの人ははじめてなので、しげしげと見入った。
拡大してみた。
上を向いたまま静止している。大変だろうなぁ。
だけど、上を向いているということは、監視がきかない、ということにもなって、お金をちゃりんと入れないまま見入ってしまう人も出てくる。
それにお金をちゃりんと入れると、一瞬、にっこりと頭を下げてもらえる楽しみが味わえないではないか。
作戦に問題ありのような気がする。
上を向いたまま静止している。大変だろうなぁ。
だけど、上を向いているということは、監視がきかない、ということにもなって、お金をちゃりんと入れないまま見入ってしまう人も出てくる。
それにお金をちゃりんと入れると、一瞬、にっこりと頭を下げてもらえる楽しみが味わえないではないか。
作戦に問題ありのような気がする。
ハープを弾いている人がいた。
アコーデオンやバイオリンのような小さい楽器を街頭で弾いている人はよくみかけるけど、道端でハープを弾いているというのは、長い人生で初めてお目にかかった。
哲学をしている坊やがかわいかった。
人生をはじめて、まだ4,5年にもならないだろうに、何を考えているんだろう。
人生をはじめて、まだ4,5年にもならないだろうに、何を考えているんだろう。
さて、ようやく墓地の中に入っていった。
豪華な家が並んでいる。
豪華な家が並んでいる。
さすが、アルゼンチンの大金持ちのお墓は立派だ。
ここ、レコレータ墓地で一番人気があるのは、エヴァ・ペロンの墓だ。
つまり、エビータの墓。
写真の赤い花は、だれかが、生花を置いたのだろう。
つまり、エビータの墓。
写真の赤い花は、だれかが、生花を置いたのだろう。
エビータの墓の全体像を撮ろうとしても人が多いうえに、通路が狭くて、全体がカメラにはいりきらない。
写真真ん中の黒いのが、エビータの墓。
写真真ん中の黒いのが、エビータの墓。
どの墓も立派。
ガイドさんが、これはだれそれの墓、これはブエノスアイレスの知事だった人、これはなんとか大統領のお墓、と説明してくれるのだが、知らない人ばかりの名前だった。
ガイドさんが、これはだれそれの墓、これはブエノスアイレスの知事だった人、これはなんとか大統領のお墓、と説明してくれるのだが、知らない人ばかりの名前だった。
この中で一番立派なお墓は、フェデリコ・レロアールのお墓なんだそうだ。
この方は、ノーベル化学賞を受賞した方らしい。
政治家や、経済畑の人でなく、理系の人が堂々としたお墓を作ってもらえる国なんだ!!!
アルゼンチンの将来性は間違いなしですね。
この方は、ノーベル化学賞を受賞した方らしい。
政治家や、経済畑の人でなく、理系の人が堂々としたお墓を作ってもらえる国なんだ!!!
アルゼンチンの将来性は間違いなしですね。
イヤー、それにしてもお墓にこれだけお金をかけているなんてすごい。
イタリア系の人が多いので、イタリア風だというけど、イタリアの墓はみたことがないので、わからない。
ベートーベンやシューベルトが眠っているウィーンの中央墓地は、確かに立派だった。
ウィーンは石像が多かったように思うが、ここは、石像よりも邸宅風のお墓が多い。
ちょっと密集していて、窮屈じゃないのかなぁ。
イタリア系の人が多いので、イタリア風だというけど、イタリアの墓はみたことがないので、わからない。
ベートーベンやシューベルトが眠っているウィーンの中央墓地は、確かに立派だった。
ウィーンは石像が多かったように思うが、ここは、石像よりも邸宅風のお墓が多い。
ちょっと密集していて、窮屈じゃないのかなぁ。
こちらはかなりヨーロッパ風の一角だった。
墓地にちょっと変わった木があった。
枝が四方に横に伸びている。
枝が四方に横に伸びている。
こういう木陰はやっぱり墓地らしい。
墓地の出入り口付近は、市民の憩いの場になっていた。
この人たちはギターを弾いていた。
墓地にもジャカランタが最後の輝きを放っていた。
もうすぐ、暑い夏がやってくると、花はなくなって、気持ちのいい木陰を作り出すのだろう。
もうすぐ、暑い夏がやってくると、花はなくなって、気持ちのいい木陰を作り出すのだろう。
コメント 0