パタゴニア旅行記ことはじめ [パタゴニア]
膨大な写真がたまってしまっているので、どんどん整理しなければならない。
一方、パソコンの内臓ディスクは、写真でふくれあがってしまい、ディスクのクリーンアップに必要な空きディスク容量も確保できなくなってしまった。
外付けディスクもバックアップで満杯。
そういう危機的状況の中、ようやくのことで、なんとか作業スペースを作ったので、旅行写真の整理を再開する。
晩秋から早春までの旅行といえば、やはり南半球が旅行シーズンで気持ちがいい。
ということで、パタゴニアの写真を整理しよう。
パタゴニアは、美しい自然が目玉の観光地だ。
湖に流れ込む氷河。
氷河が溶けて流れてくる湖はコバルトブルー。
季節は初夏。
といっても緯度が高いので、日本でいうと、春くらいだ。
花が咲き乱れていて、最高の観光シーズンを迎えていた。
旅行に重い一眼レフのカメラを持っていくのは、ちょっとしんどい年になったが、旅行から帰ってきて、写真を眺めながら、また、旅行先のことをあれこれ調べるのは、本当に楽しい。
そんなに写真を撮ってどうするの?とよく聞かれるのだが、写真の整理をしながら、また旅行を再現できる楽しみがあることを考えると、一眼レフの重さも気にならない。
パタゴニアは遠い [パタゴニア]
パタゴニアという名前は国の名前ではなく、南アメリカの南緯40度あたりから南の地域を総称したものだ。
国でいえば、アルゼンチンとチリにまたがっている。
両国の南の地域である。
南米への飛行機の直行便はないので、米国を経由しなければならない。
さて、出発は11月22日。
お昼過ぎに成田に行く。
いつものことながら、レインボーブリッジの写真。
今回はよく晴れている。
レインボーブリッジからの景色。
成田で搭乗を待つ。
夕陽が空港のガラスに映っている。
夕方5時の飛行機でアメリカのヒューストンに向かう。
夜出発の東回り便は、すぐに夜になってしまうし、海ばかりなので、せっかくの窓際席もおもしろくない。
11時間30分ほどでヒューストン到着。
アメリカはトランジットで通り抜けるだけなのだが、入国審査を受けなければならない。
これが大変だ。
指紋を撮られる。
靴を脱いでX線検査。
小さいボックスに入れられ、足を肩幅に開き、両手をあげる、
と、ボックスのガラスがひとまわりする。
これは初体験、なんだろう。
降参のバンザイポーズで箱の中にいるのは、なんだか気持ち悪い。
体の上から下までさわってチェックされる。
何人かに一人は、手荷物をあけてチェックを受ける。
前にきたときには、網膜認証のための目の写真を撮られた。
アメリカを通るたびに、いろいろな個人認証の情報がとられて、蓄積されていく。
体の一部分が切り取られて発見されてもだれの骨なのか、だれの指なのか、だれの目か、などわかっちゃうんだろうなぁ。
ようやく審査終了。
次は、ブエノスアイレス行きの飛行機だ。
乗り継ぎ便は7時間ほど待たねばならない。
ヒューストン空港でぶらぶら・・・・ぶらぶら・・・・・。
待合の椅子が並んでいる真ん中にはインターネットに接続できる設備が開放されている。
タワーの中間のところに電気コードのソケットがある。これはいい。
さすがヒューストン。
だが、サムソンの広告入り。
最近はどこにいってもサムソンが目に付く。
ちょっと前まではソニーでしたけどね。
さて、ようやくブエノスアイレス行きの飛行機の窓際席に乗れた。
だが、夜の10時半。
外は真っ暗なので、窓からはなにもみえない。
一眠りしたあと、窓の外をみると、アンデス山脈のあたりの景色がみえた。
大きくうねっているのは川だ。
アマゾン川かラプラタ川の支流かもしれない。
フライトモニターでは、アンデスの東側らしい。
ブエノスアイレスが近づくと、窓から見える景色が一変する。
広大な平野がきれいに区割りされて、広がっている。
アメリカも大きい区割りの畑が広がっているけれど、ここまで整然とはしていなかったと思う。
ブエノスアイレスから、さらにパタゴニアの都市、カラファテまで、小型飛行機に乗らねばならない。
今までにも通算、20時間ほど乗ったのに、まだ4時間乗らねばならない。
成田でも夜を迎え、ヒューストンでも夜を迎えた。
もう時間の感覚がすっかりおかしくなってしまった。
パタゴニアは遠いのだ。
パタゴニアのカラファテに到着 [パタゴニア]
11月22日の夕方、成田を出発して、すぐに夜になり、ヒューストンに明るいときに到着、夜になってブエノスアイレスに向けて出発、ブエノスアイレスに到着したときは、お昼になっていた。
みたこともない赤い飛行機が停まっている。
カンガルーのマークがあるからオーストラリアの飛行機のようだ。
地図でみると、アルゼンチンとオーストラリアは遠くみえるが、地球儀でみると、意外に近いことがわかる。
日本から直行便はなくてもオーストラリアからの直行便はあるらしい。
アメリカの厳しくて時間のかかる入国審査を嫌って、アメリカ経由ではなく、オーストラリア経由で、アルゼンチンに来る日本人もいるそうだ。
飛行機が1時間遅れたために、ブエノスアイレスのレストランで昼食のはずだったが、お弁当になってしまった。
国内線の飛行機に乗り換えるために、エセイサ国際空港から、アエロ パルケ メトロポリターノ ホルへ ニューベリー空港(なんて長い名前なんだ!)まで、バスで1時間ほど移動。
ブエノスアイレスの郊外を走る道路を通ったが、なかなか快適だった。
こちらは初夏。
緑がみずみずしい。
紫色のジャカランタも盛りは過ぎていたが、きれい。
いつか、南アフリカにジャカランタを見に行きたいと思っていたが、思いがけず、見ることができた。
ブエノスアイレス到着が1時間も遅れてしまったので、国内線乗り換えがあわただしくなるか、と思ったが、国内線は、もっと遅れているらしい。
出発のゲート番号も、いつまでもわからない。
結局、15時40分発の予定が、18:05分発の2時間半も遅れた。
国内線空港で、またぶらぶら・・ぶらぶら・・・・・・。
空港からは、電車が見える。
電車の手前に道路があり、車が走っている。
だから、電車と車と飛行機をカメラに収めることができた。
空港の近くには高いビルもある。
大丈夫なんだろうか。
空港からは、ラプラタ川も見えた。
道路の向こうにあるのは、ラプラタ川。
川幅は45kmだって。
そういうの、川っていうんだろうか。
もちろん対岸は見えない。
黄色い花は、ティパ、まめ科の木だ。
街路樹として植えられている。
新緑と花が、時差でおかしくなってしまった頭を癒してくれる。
夕方6時を過ぎて、ようやく飛行機に乗り込めた。
これから、さらにパタゴニアのカラファテ空港まで3時間余り。
予定だと、午後3時過ぎに出発して夕方7時に到着なので、南に向かって、日が長くなっていくはず、パタゴニアの山々が見えるはずだった。
なにしろ、今は日本でいうと夏至に近い時期、パタゴニアは緯度も高いので白夜のようなことになっているのではないか。
座席も窓際。
準備は万端。
だが、飛行機が飛び上がるのとほぼ時を同じくして日が沈む。
間もなく暗闇の中に突入。
カラファテに到着したのは、夜も11時近くになった。
ずっと暗い中を飛んできた。
なんということだ。
雪を冠った美しいパタゴニアの峰々を真下に見ながら、パタゴニアに到着!という夢は、3時間も遅れてしまった飛行機の出発のせいで、無残にも果たせなかった。
そう、アルゼンチン時間ね。
そういうものらしい。
予定にアルゼンチン時間を入れなかったのは誤算だった。
それでもカラファテ空港に到着して、Calafateの文字を見たときは、嬉しかった。
氷河探検の観光案内看板もあるではないか。
これぞ、パタゴニア。
ホテルに着いたのは、真夜中の12時だった。
これから夕食だって。
さすがに、夕食はパスした。
成田とヒューストンとカラファテで、3回目の夜が過ぎていった。