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ベートーベンが遺書を書いた家 [ウィーン・プラハ]

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ベートーベンの耳は、ますます聴こえなくなり、32歳のときには絶望のあまり、ウィーン郊外ハイリゲンシュタットのこの家で遺書を書いています。その後、34歳で交響曲「英雄」を作曲しています。

あの堂々としたシンフォニーは、難聴がかなり進んでいたいたころに作曲されたことを思うと、その精神力の強さ、曲想の力強さに心打たれます。

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中庭から住んでいた部屋に上がっていきます。

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部屋からの景色は緑がいっぱい。

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ベートーベンは怖い顔で知られていますが、この像はなかなかハンサム。女性に大変もてたそうです。

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デスマスクです。胃腸や肝臓をやられていたらしく、最後は肝硬変による肝不全で亡くなっています。56歳でした。ワインの飲みすぎと言う説もあります。 

モーツアルトが亡くなったときは共同墓地に埋葬され、簡素なものだったのですが、時代が少し新しくなって、ベートーベンのころになると、音楽家のステータスもかなりアップし、ベートーベンの葬儀は3万人もの人が参列する盛大なものだったそうです。

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オーストリーの国旗風の旗が4本飾られています。これは、ウィーンの見所には必ずかかっている看板です。これにはベートーベンハウスと書かれていますね。

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ドナウ川とハイリゲンシュタット、ベートーベンの小道などの案内板。南がウィーンになります。緑の8文字記号はブドウ畑。


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コメント 7

mikosuke

・・・大変もてた・・・んんんん 知らなかった!
ぶ男の代表だと思っていましたが・・失礼しました (・´ω`・)
勉強になりました。
年末には、思い出しながら聞く事でしょう(✿ฺ-ω-)ゥンゥン♫
by mikosuke (2008-04-22 22:26) 

もとこさん。

難聴のベートーベンの頭の(心の?)中にはどんな音楽が鳴り響いていたのでしょうね・・・
by もとこさん。 (2008-04-22 23:25) 

ララアント

ここのベートーベンの家は テレビ番組で観た事があります。
「遺書を書いた部屋とかのコメントがあったのかも知れませんが・・・」
すっかり忘れていましたので 「へぇ!そうなんだ!」と。
by ララアント (2008-04-22 23:53) 

めぎ

ワインの飲み過ぎ・・・気をつけなくちゃ!
ウィーンにはこういう赤白の旗のついた観光名所がたくさんありますね。
by めぎ (2008-04-23 00:56) 

ぴーすけ君

窓からの景色がきれいだったでしょうね~^^
by ぴーすけ君 (2008-04-23 08:34) 

いとお

これがベートーベンの!
すごい私も是非見てみたいですね(^^)
つらい状況の中、
すばらしい作曲をした彼の
精神力はホントすごいですよねぇ~
by いとお (2008-04-23 12:19) 

ada

mikosukeさま
背が低く、疱瘡のあとのあばたがあったそうですが、もてたんですね。でも身分違いの女性ばかりを相手にしていたので結婚できなかったようです。

もとこさま
20歳代でもう難聴が始まっていたのですね。演奏家としては致命傷です。そのときの絶望が、運命などの傑作を生んだのだと思います。

ララアントさま
テレビでやっていたのですか。見落としていました。残念。

めぎさま
このころのワインは甘味料として鉛の成分のあるものを使っていたそうです。だから、今のワインは大丈夫だと思いますよ。

ぴーちゃんのまま
耳が悪い分だけ目でいろいろと確かめたでしょうね。

いとおさま
ベートーベンのすごさは、難聴を克服して、そのくやしさを作曲に反映させていったことですね。
by ada (2008-04-23 23:01) 

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