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めざすはウィーン [ウィーン・プラハ]

アマチュアオーケストラのウィーン公演にくっついてウィーンとプラハを回ってきました。はじめての国ばかりの旅行でしたので、張り切って行ってきました。

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朝早く自宅を出て、朝焼けを期待していましたが、黒い雲が空を覆っています。ドコモビルのあたりがほんのり明るくなっています。

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レインボーブリッジも無事通過。

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千葉方面へ・・・

パスポート、バイオリン、航空券は大丈夫。飛行機にもちゃんと乗れました。ここまでくると、後は流れに乗ってなんとかなるものです。楽しみは食事。

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サーモンのソテーにマッシュポテト、それに赤ワイン、なんとなくドイツ風メニューに満足。ルフトハンザですからね。

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いよいよフランクフルトです。ここから飛行機を乗り継いでウィーンまでいくのです。ドイツに着いたら、なんといってもビール。このビールの泡をみてください。おいしそうでしょ。

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はやくも記念写真の撮りっこ。

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ルフトハンザばかりのエアポート、さすがドイツです。

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外国にきたという実感が湧きます。

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なんとなくドイツ風の色合いに納得。

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探検開始。本屋でコンピュータコーナーをみつけました。やっぱりドイツ語。

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プレッツェル見っけ・・紐をハート型に結んだようなパンです。表面に岩塩のつぶがのっかっていて、ビールによくあうパンです。東京でもビアホールでよく食べました。本場の本物をみたのははじめて。そもそもドイツははじめてです。

次はウィーンに向かって出発です。


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ベートーベンの散歩道 [ウィーン・プラハ]

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ウィーンでの最初の観光は、ハイリゲンシュタットにあるベートーベンの散歩道から始まりました。ハイリゲンシュタットは、ベートーベンの時代にはウィーンの中心地から馬車で半日ほどかかったそうですが、今回は専用の観光バスで30分ほどでくることができました。

飛行機を乗り継いで成田から15時間ほどかけ、前日の夜ようやくたどりついたウィーン。すがすがしい朝の空気を吸いながら歩く散歩道は、時差ぼけの頭を瞬く間にウィーン時間に切り替えてくれました。木漏れ日の中、小川に沿った道をのんびりと歩くぜいたくは久しぶりのことです。

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ベートーベンの標識をみつけました。

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小川は護岸工事がされていましたが、ベートーベンの時代にはもっと自然が広がっていたことでしょう。

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小さな滝もありました。岸辺には春の花が・・

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小川の反対側は住宅地になっています。

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ライラックはまだ少し早いですが、ちらほらと咲き始めていました。


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4月中旬は、ウィーンでは長い冬から開放される季節。木々を見上げると芽吹いたばかりの新芽が風にそよいでいます。鳥のさえずりも聞こえます。こんな絶好の季節にここを訪れたことに感謝しないではいられません。朝出ていた霧もすっかり消えて、抜けるような青空がひろがっています。


ベートベーンは26歳ころから耳が少しずつ悪くなり、医者から、ここハイリゲンシュタットでの鉱泉浴を勧められます。交響曲6番「田園」は、この散歩道で作曲したとか。

日本の田園というと田んぼの広がる山里を思い浮かべます。ベートベンの田園は近くにブドウ畑の広がる小川沿いの道なんですね。小鳥のさえずりを聞いていると、6番シンフォニーのイメージがよりすっきりしてきました。以前、田園を弾いたとき、先生が猛烈に速いテンポで指揮されるので、面食らってしまいました。ベートーベンというと重々しくなりがちですが、軽快に楽しく弾くべきであることが、朝のさわやかな気分の中で体感できました。

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ベートーベンの銅像もありました。

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ここから小川沿いの道を抜けて、住宅地に入っていきます。

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チューリップがなにげなくさいているのに大感激です。

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もちろんたんぽぽも咲いています。

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もくれんも。

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この花はなんでしょうか? きっとあんずの類ですね。


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ベートーベンが遺書を書いた家 [ウィーン・プラハ]

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ベートーベンの耳は、ますます聴こえなくなり、32歳のときには絶望のあまり、ウィーン郊外ハイリゲンシュタットのこの家で遺書を書いています。その後、34歳で交響曲「英雄」を作曲しています。

あの堂々としたシンフォニーは、難聴がかなり進んでいたいたころに作曲されたことを思うと、その精神力の強さ、曲想の力強さに心打たれます。

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中庭から住んでいた部屋に上がっていきます。

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部屋からの景色は緑がいっぱい。

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ベートーベンは怖い顔で知られていますが、この像はなかなかハンサム。女性に大変もてたそうです。

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デスマスクです。胃腸や肝臓をやられていたらしく、最後は肝硬変による肝不全で亡くなっています。56歳でした。ワインの飲みすぎと言う説もあります。 

モーツアルトが亡くなったときは共同墓地に埋葬され、簡素なものだったのですが、時代が少し新しくなって、ベートーベンのころになると、音楽家のステータスもかなりアップし、ベートーベンの葬儀は3万人もの人が参列する盛大なものだったそうです。

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オーストリーの国旗風の旗が4本飾られています。これは、ウィーンの見所には必ずかかっている看板です。これにはベートーベンハウスと書かれていますね。

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ドナウ川とハイリゲンシュタット、ベートーベンの小道などの案内板。南がウィーンになります。緑の8文字記号はブドウ畑。


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