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西安の旅 ~小雁塔のボタン [西安]



☆ ボタン
☆ 小雁塔

ボタン

楊貴妃の時代には西安で盛んにボタンが栽培されたそうです。
ボタンは今でも楽しまれていました。
バックは小雁塔です。


小雁塔

この下の景色はホテルから。
朝起きると朝もやの中にボーッと古い塔が浮かんで見えます。
これが小雁塔です。


夜の8時ごろ、ホテルの部屋から、夕焼けの中に小雁塔が黒く見えていました。


小雁塔は薦福寺の境内にあります。
684年、則天武后が、亡くなった夫、高宗皇帝の冥福を祈るために建立した寺です。

唐の名僧義浄は、695年にインドから経典を長安に持ち帰りました。
義浄法師はその薦福寺を経典翻訳の道場として、706年から728年までこのサンスクリット経典を漢訳しました。
小雁塔はその経典を納めるために薦福寺境内に建てられています。

今の入り口は寺の名前ではなく、小雁塔として、観光客から入場料を10元(150円くらい)とっています。地元の方は無料ですので、お年寄りの方たちの朝の散歩コースになっているようでした。
入り口の建物も由緒あるものだと思いますが、屋根に木が生えていました。



もともとは15層のレンガ造りだったそうですが、1555年の大地震のときに上層2層が崩れて、現在は13層、43mです。
建ったときのままだといいますから、1300年もこの姿なんですね。


レンガをよく精巧に積み上げたものです。
中も見学できるようになっていますが、まだ開いていませんでした。


小雁塔のすぐ隣にある建物で、これがお寺だったようです。


柱が並んでいますが、これは馬止めの柱です。
台座と上の石像の間にすき間があって、そこに縄を縛り付けられるようになっています。
大きな石をくりぬいて作ってあります。


下は、修復中の石像です。
観光客は入れませんので、窓からぱちり。おもしろい窓でしょ。


さて、この寺を建てた則天武后ですが、655年に皇后になり、夫の高宗に代わり、垂簾政治といわれる、御簾の後ろからの政治を行いました。
人を見る目があったらしく、それまでの貴族政治から脱却して下層から人材を登用していきました。
ここで育った人材が後に玄宗が皇帝になったときに活躍し、善政を行えたということですから、則天武后の政治が後々まで、有効に働いたのです。
690年には自ら皇帝となり705年に退位するまで、実に50年にわたり、実権を掌握して国を動かしていたのです。
則天武后というと中国の3大悪女の一人としてあげられていますが、実際には政治の実力を持ち、行動力もあった女性ではなかったのでしょうか。
こういう女性が、1300年も前に存在しえたということも、中国のすごいところですね。

 


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コメント 7

めぎ

このレンガの積み上げは凄いですね。レンガに見えないですよね。ちょっとダンボールの重なったものみたい・・・牡丹の花、ドイツでも売られてます。近々載せますね。
by めぎ (2007-05-11 01:41) 

さすが中国、古い建物が多いようですね~。
by (2007-05-11 05:12) 

wakatate

小雁塔のボタン綺麗ですね、レンガを積んで立派な
建築が出来るものですね、中国のお寺の屋根は
先が尖って独特の形ですね、
それにしても、馬止めの柱は立派ですね。
by wakatate (2007-05-11 13:28) 

ada

めぎさま
レンガをただ積み上げただけで、地震にも耐えてきたというのがすごいです。積み方に秘密があるのでしょうね。ドイツのボタン、楽しみにしています。
by ada (2007-05-11 23:33) 

ada

mimimomo さま
1300年もこのまま建っているというのがすごいところです。
by ada (2007-05-11 23:34) 

ada

wakatateさま
レンガの建物は日本では古いものは無いと思います。中国はレンガが多いですね。石も豊富にあったようですね。
by ada (2007-05-11 23:38) 

ada

xml-xslさま
ナイス&訪問ありがとうございます。
by ada (2007-05-11 23:39) 

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