バイオリンのふるさとミッテンヴァルト [チロル・ドロミテ]
ミュンヘンを出発したバスは、ドイツのアウトバーンを軽快に走る。
もうすぐオーストリーへの国境のはず。
と、思っていたら、ガイドさんが、この辺は、バイオリンで有名なミッテンヴァルトだ、というので、あわててカメラを取り出し、シャッターを切ったが、町はずれしか写らなかった。
バイオリンで一番有名な町は、クレモナ。イタリアのミラノから電車で1時間ほどのところにある。
ミラノのドゥオーモで三枝成彰さんのレクイエムをご本人指揮の元、演奏したとき、帰りにクレモナに寄り、1泊したことがある。
Adaの楽器もクレモナ製のがある。普段使っているものだ。
さらにもうひとつ、バイオリンを持っている。
これは、多分、ドイツのミッテンヴァルトで生まれたのだろうと推測している。
傷があちこちにあり、ネック交換の痕もある。
生まれ育ちは、はっきりと、わからないのだが、250年くらい前のドイツ製のバイオリンの特徴を持っているのだ。
ちょっと小ぶりで、色が濃く、ハイアーチ(胴体のおなかが膨れている)型だ。
その時期、アルプスの北側のドイツでバイオリンの需要が急激に増え、イタリアから持って帰ったバイオリンを模して、大量生産したのが、この形らしい。
それが流れてきて、今の日本でも比較的安く売られている。
ドイツ製の古い楽器というと、みんなこんな形をしている。
だが、今では、ハイアーチのバイオリンは、はやらない。
やはりストラディバリ型の、ローアーチでないと、音が遠くまで跳んで行かないのであまり好まれない。
このモデルはストラディバリより古い時代のものだ。
そうはいっても、Adaにとっては思い出のある楽器で大切にしている。
なので、いつか、ミッテンヴァルトにも行ってみたいものだ、と常々思っていたのだった。
それが思いがけないところで、ちらりと見ることができたのだ。
しかし、これはうかつだった。
ミュンヘンからインスブルックへの道路は、ローゼンハイム経由の大きな道路を通るとばかり思い込んでいたので、ノーチェックだった。
あ~ぁ!
ミッテンヴァルトは国境のすぐ近くにあるので、バスはすぐにオーストリーに入っていった。
国境がある、とはいえ、無理やり引いた国境線なので、羊飼いは昔から国境無視で、行き来しているそうだ。
南ドイツと同じように美しい壁絵の家が見える。
だが、山々は険しくなってきた。
赤い電車が見える。
こんな岩のでっぱりをまがってどんどんバスは快適に跳ばす。
と、もうインスブルックに入って行った。
路面電車はウィーンにあるのと似ている。
町は、山に囲まれている。
ナナカマドがある。アイルランドでも緑の葉に赤い実のナナカマドがきれいだったけど、ここでも葉が緑だ。日本では、紅葉してしまうと思うけど?
さて、夕方、ホテルに到着した。
夕飯までの1時間ほどを使ってさっそく近くのスーパーマーケットを探検に出かけた。
公園を通り抜けるとすぐに巨大なスーパーマーケットがあった。
下の写真の右側は、自転車専用道路。左側は、歩行者用。
小川にかかる橋も、自転車専用のスペースが造られていることに、いたく、感動する。
ここは小さな公園なので、自動車は入ってこない。
教会の尖塔が見えるが、その隣あたりにホテルがあるので、目印にした。
公園を流れる小川。護岸工事もやっていないように見えるけど、洪水なんてないのかしら。大雨なんてきっと降らないのね。だいたい、雪解け水が流れているのではないかしら。
遠くに、スキーのジャンプ台が見える。
1964年、1976年の冬季オリンピックがインスブルックで開催されている。
冬はにぎわうのね。
公園のすみっこで、シューメイギクを見つけた。東洋の花だと思っていたが、ヨーロッパでも元気ですね。
公園の花が、夕日を浴びて、とても元気だ。
これはハナタバコですね、きっと。
これはなんだろう?赤いのは、花か実か?
インスブルックの朝 [チロル・ドロミテ]
ミュンヘンからインスブルックに着いてすぐに近くを散歩がてら、スーパーまで歩いていった。
夏とはいえ、すがすがしい空気がおいしい。
教会の尖塔を目印に、公園の隅の小さな路地を通り抜けていく。
さすが、オリンピックを2回もやる町だ、教会も立派。
夕食のトマトクリームスープがおいしい。日本を出発してはじめてのちゃんとした食事だ。
メインディッシュは魚のフライとポテト。
インスブルックは海から遠いのだが、川魚かしら。マスみたい。
さて、一夜明けると、空が曇っている。
旅行中は、朝起きると、まず窓の外を眺めて、朝陽があるかどうか、お天気はどうか、をチェックする。
朝焼けがみえそうだったら、ともかくカメラを持って外に出るのだけど。
残念なことに、朝焼けどころか、雲がたれこめていたが、インスブルックには、朝出発すると、もう戻ってこないので、朝の散歩をすることにした。
夜成田発の飛行機の西回りは夜が長い上に、飛行機の隣の座席も使って横になって寝てきたので、あまり時差ボケもなく、ベッドに未練を感じなかったのだ。
ホテルは町中にあるので、壁絵を見て回ることにした。
建物の壁絵が素晴らしい。
お日様はどこにいるのか、薄暗くて、今にも雨がふりそうだ。
この窓枠は本物だワ。
槍を持ったおじさまは、きっと有名な人なんだろう。
ここはパン屋さんらしい。このお店だけ、開いていた。
朝食後の8時には、もうホテルを出発した。
下の写真は、インスブルックの鉄道の上の道路で、車窓から撮った。
これから向かうのは、ザルデンという小さな町。
エッツ渓谷(エッツタール)をどんどん奥まで入っていった先にある。
山と山の間を流れる川に沿って、上流に入っていく。
山から湧水が滝になって流れている。日本だったら、名所になると思うけど。
あちこちに、こういった滝がある。ちょうど雪解けのシーズンなんでしょうね。
だんだんアルプスの風景になってきた。
だが、お天気はどんどん悪くなっていったのだった。
ザルデンから、さらに、ケーブルカーで3000mまで行くというのに。
標高3058mのガイスラッハコーゲル展望台 [チロル・ドロミテ]
8時にインスブルックを出発したバスは、エッツ渓谷をどんどん南下し、登っていく。
9時半には、ゼルデンという小さな村に到着し、ここでバスを降りた。
ここからは、ロープウェイに乗るのだ。
インスブルックのの標高は573m。ここゼルデンの標高は1377m。
800mほどをバスで登ってきた。
そして、これから3058mのガイスラッハコーゲル展望台まで、ロープウェイで登る。
下の地図の赤い矢印が、今いるところ。
ここから黒い線が伸びているのが、これから乗るロープウェイ。
ロープウェイの中間に、中間駅がある。
ロープウェイは、これ以外にも、何本もある。冬季はここでスキーの世界大会も開かれるほどで、山の奥のほうまで、ロープウェイを使っていくことができる。
日本の志賀高原でも、リフトやロープウェイを使って、遠くのゲレンデまで行くことができるが、ここは、その何倍かの規模になっていそうだ。
ここがロープウェイ乗り場。
日本のスキー場のロープウェイと変わらない。
利用客は、悪天候のせいもあるのか、私たちご一行様だけ。
4,5人くらいづつで、一つの箱に乗り込む。
ロープウェイが動き出す。
ロープウェイの窓ガラスにほこりがついていて、写真がクリアにならないけど。
ゼルデンの町が小さくなっていく。
ゼルデンは人口3000人にも満たない村だ。
きっと、冬場のスキー客や夏場の観光客で生計を立てているのだろう。
ここ、エッツタール(渓谷)のシミラウン氷河で、1991年に、約5200年前のミイラが、ほぼ完全な状態で発見され、話題になったことがあるそうだ。
そのアイスマンのはなしは聞いたことがある。
雨もなんとか降らず、雲もまだ降りていない。
まだゼルデンが見える。
ロープウェイが交叉するだけで、はしゃいでいる。
2170mのところにある、中間駅でロープウェイを乗り換えて、さらに上を目指す。
ロープウェイから下を見ると、登山者が見える。
半袖、半ズボンの軽装の4人組だ。
向こう側の山のさらに向こうの山まで見えてきた。
そして、3000mを越える地点にある、ガイスラッハコーゲル展望台に到着した。
3000mを越えたのは、2回目かなぁ。
モンブランが見える、エギーユ・デュ・ミディ山頂部の駅は、3777mだそうだから、それに次ぐ記録だ。
だが、まわりは、白くガスが立ち込めていて、なんにも見えない。
かろうじて、ピークにある十字架が見えるだけ。
ガスが一瞬、消えて景色が浮かび上がったときがあった。
晴れていたら、どんなにか素晴らしい景色が広がっていることだろう。