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ベートーベンがこよなく愛したハイリゲンシュタット [ウィーン・プラハ]

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耳の治療のためにウィーン郊外のハイリゲンシュタットに転地したベートーベンは、この土地がすっかり気に入ったようです。引越しを80回ほども繰り返したというベートーベンは、ここハイリゲンシュタットでも15回ほど引越しをしたそうです。

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ここはベートーベンが住んでいたところですが、今はホイリゲになっています。ホイリゲというのは、自家製のワインを出すところです。もみや松の木の束をぶらさげているのがその目印。

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その隣にあるのがハイリゲンシュタット教会。中を覗くとここにもベートーベンの像がありました。

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小さな教会ですが、小さなステンドグラスも入っています。

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教会の敷地から反対方向を振り返ると・・

ベートーベンは30歳から35歳にかけてこの地に滞在していたようです。ここでは交響曲の2番を作曲した後、遺書を書きましたが、その後、あふれるように作曲しました。3番の英雄、4番、5番の運命、6番の田園と後世に残っている有名な曲の半分ほどは、このハイリゲンシュタットで書かれたのではないでしょうか。

32歳のときに書いた遺書は、ピアニストとしての遺書だったと思われます。難聴のために演奏家としての活躍の場をなくしてしまったのです。

遺書を書くことで、演奏家として世に出るのをあきらめ、作曲家としての残された道を決然と選択した、というのが遺書の意義なのでしょう。

私たちはベートーベンの難聴のおかげで、彼が作曲した素晴らしい音楽を享受できるというわけです。ベルリンの壁が崩壊したとき、ベートーベンの第九の合唱が流れたといいます。人類の歓喜を歌い上げるために、彼は生まれてきたのですね。

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リンクと呼ばれているウィーンの市街には戸建ての住宅は、みかけませんが、このハイリゲンシュタットはゆったりとした高級住宅が立ち並んでいます。

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ちょうどプラムが花盛り。

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ちょっと変わった色使いの建物はスロバキア大使館。窓に木々を写しています。

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ぞろぞろ・・・観光客は私たちだけ。

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こういう標識も・・エロイカ通り43番地でしょうか。このあたりで交響曲3番のエロイカ(英雄)を書いているので、住所表示にも使われているのですね。いいなあ、こういう住所に住めて・・・

ベートーベンガングとかエロイカガッセなどの標識にあるガングは小道、ガッセは通り、ついでにリンクシュトラッセなどのシュトラッセは大通りだそうです。

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小川の流れる散歩道をそれて、しばらく住宅地を歩いていると、突然ブドウ畑が住宅の切れ目からみえてきます。 なだらかな丘の斜面はずっとブドウ畑になっています。 ブドウは水はけがよく、日当たりのよい場所によく育ちます。朝陽をたっぷり浴びるところが最高だそうですから、東南の斜面がいいのですね。人間と同じです。だから高級住宅地の裏側の斜面がブドウ畑、納得です。

ブドウ畑はたんぽぽの花盛り。まだ葉は出ていませんでした。 


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シューベルトが生まれ育った家 [ウィーン・プラハ]

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ハイリゲンシュタットからウィーン市街に戻る途中に、シューベルトの生まれ育った家があります。

ベートーベンはボンから、モーツアルトはザルツブルグから、ハイドンはハンガリー国境あたりから、というように、ウィーンに住み着いた音楽家はほとんどよそからやってきました。でもシューベルトは生まれも育ちもウィーンです。

シューベルトの家のあたりは上の写真のように4、5階建ての建物が密集したところにありました。この風景は当時から変わっていないと思われるような歴史を感じます。

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一歩、建物の中に入ると中庭があり、そのさらに向こうには木の繁った空き地がありました。

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反対側からみると、こんな感じ。この家の2階にシューベルト一家は住んでいました。

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当時のピアノやめがねや楽譜などが並んでいます。

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シューベルトというとこのめがねですよね。

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英語の解説をみつけて、理解できないにもかかわらず、ほっと一息。ドイツ語よりまし。14人も兄弟がいたと書いていますね。

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そうそう、この写真。よくみます。

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音楽の教科書にあったような・・・

シューベルトほど日本人に親しまれている外国の作曲家はいないのではないでしょうか。

小さいころ、母がよく歌っていた「野ばら」。ドイツ語を勉強していたときには、ドイツリート好きの先生が「野ばら」をドイツ語で歌うことを宿題に出されました。ドイツ語はさっぱり身につきませんでしたが、今でもソラで歌うことができるほど、夢中になって覚えました。

小学校高学年のころ入っていたジュニアオーケストラではじめて経験したシンフォニーが、交響曲「未完成」。初めてシューベルトという名前を知りました。

高校生のときの音楽の授業では「楽に寄す」という歌曲を教わりました。ピアノ伴奏が素晴らしく、ピアノをやっていたいとこに頼んで、歌って遊んだのもなつかしい思い出です。今も歌詞をみないで歌えるほどです。

楽の音
わが悩むとき
心をおとずれては
あたたかな愛を充てつつ
清らかなる境に
わが身をともないぬ

妙なる琴の響きの
さやかになりわたれば
この世にも天つ幸あり
奇(くす)しきかな楽の音
とうとしや楽の音  <ショーバー作 堀内敬三訳>

子供が小学校低学年のころ、縦笛を学校で習い始め、夏休みの宿題に、なにか曲を吹けるようにしてくることといわれました。縦笛で小さい子供でも簡単にできるもの、シャープやフラットがついていないもの、ドからはじまって次のドの1オクターブ以内に入るもの、というので選んだ曲が歌曲「冬の旅」の中におさめられている「菩提樹」です。簡単な音ばかりでできているにもかかわらず、美しいメロディが幼い子供の笛から流れてきたときは、感嘆しました。

それから、子守唄。日本の子守唄は短調で寂しいし、モーツアルトの子守唄は明るくて子供が起きてしまいそうだし、シューベルトのが一番しっくりきました。

そのようななつかしい数々の思い出を作ってくれたシューベルト。ウィーンっ子にとっては、より身近な存在として親しまれているのを感じました。


シューベルトは軽く口ずさめるメロディが多いのですが、弦楽カルテット「死と乙女」のように大変難しい曲もたくさんあります。 そういえば、今年の1月、マスターズクラスのオーケストラで取り上げたのがこの曲の弦楽合奏版。大苦闘したのでした。

ベートーベンを敬愛し、棺を担いで葬儀に参列したシューベルトですが、その翌年、わずか32歳で亡くなりました。ベートーベンの隣に葬ってほしいという遺言をちゃんと聞き届けてもらえたのですから、生前は相当、親しまれていたのでしょう。

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シューベルトが洗礼を受けた教会が近くにあるというので、寄ってみました。ここでオルガンも弾いていたらしいです。行ったときはちょうど日曜日の朝でミサの真っ最中。中に入ることができなくて残念。きれいな賛美歌が聞こえていました。

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大通りから階段をかなり下りた坂の下にありました。まわりは、やっぱり同じような景色。

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教会の敷地にいた鳥。


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フィガロハウスと昼食 [ウィーン・プラハ]

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シューベルトの家を後に、いよいよウィーンの中心地にやってきました。次はモーツアルトがオペラ「フィガロの結婚」を書いた家の見学です。

ところが、バスを降りるとすぐに見えたのが、上の教会。シュテファン寺院です。ウィーンっ子がウィーンを一番なつかしむのがこの教会だといいます。ウィーンの中でも最もにぎやかな場所にあります。

フィガロどころではなくなったしまった私たちは、まずこの教会をざっと見ることに。

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でも、日曜の朝とあって、ここでもちょうどミサが始まったばかり。観光客は締め出されてしまいました。

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シュテファン寺院はそのうちにくることにして、すぐ側のフィガロハウスへ。これはご存知、モーツアルト。

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フィガロハウスから外をみると・・・・

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ここでは貴重な楽譜を見ました。モーツアルトが最後に書いた「レクイエム」の直筆。

私たちは、今回の公演曲目として、この曲を取り上げているのです。迷いがなくすらすらと書かれている楽譜に感動。

さて、朝からハイリゲンシュタットに始まって、おなかがすいてしまったので、早めに観光を切り上げて、お昼を食べることに。午後はオーケストラと合唱との初あわせでレクイエムを練習をすることになっていますので、大急ぎで簡単なものを食べることにしました。

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近くにおいしそうな看板が出ています。

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中もいい感じ。

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ここでまずはビール。

時間がないので、すぐに食べられるもの、というので、メニューと首っ引きでソーセージを頼みました。ところが、出されたソーセージをみてびっくり。これ・・・・

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まあ、いいや。 おいしかったですよ。真ん中にのっかっている西洋わさびがすごく辛かった・・・・涙が出ました。

ウィーン第一日目の観光はこれで終わり。午後は練習。夜はオペラ。


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