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ダブリン郊外の光り輝くクモの巣 [アイルランド]

成田を朝、出発し、その日の夜7時にダブリン郊外のホテルに着いた。
時差が7時間なので、日本だと、もう次の日の午前2時、ということになる。
睡眠不足は諸悪の根源なので、その日は、早々に横になった。

ホテルは空港近くのダブリン郊外に位置している。
ダブリンの市内観光は、アイルランド最後の日になっているので、今日は、ダブリン素通りだ。
アイルランドでの最初の夜をゆったりと過ごし、翌朝、雲一つない青空のもと、いよいよアイルランドめぐりが始まった。
下の写真は、泊まったホテル。

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さっそく、ホテルのまわりをぶらぶらとカメラ散歩する。
まず目に入ったのが、これ。

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水滴で飾られたクモの巣だ。
朝の輝かしいお日様にきらきらと光って、まるで宝石のよう。

これは芸術品だ。

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緻密な工業製品。

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夜空にひかる銀河か。

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そういえば、最近、日本ではこんなに立派なクモの巣をみたことがなかった。

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こんなに気持ちの良い青空の中、アイルランドの1日目の朝を迎えたことに感謝しないではいられない。
私たちご一行さまの乗ったバスは、いよいよ、最初の観光地、タラに向かって出発した。
出発してすぐに、羊が草を食むのどかな風景がみえてきた。

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聖パトリックとアイルランド国花シャムロック [アイルランド]

 アイルランド観光は、タラの丘から始まった。
ダブリン郊外のホテルを後にして、バスで40分ほど。
バスを降りて、なだらかな丘陵を歩く。
朝の空気が気持ちいい。

しばらくすると、銅像がみえてきた。
聖パトリック像だ。
聖パトリックは5世紀にイギリスから布教のためにアイルランドにやってきた。
アイルランドの王を改宗させ、アイルランド全土にキリスト教を広めた。

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聖パトリックは右手にシャムロックを持っている。
シャムロックとは、クローバーのこと。
三つ葉のクローバーは、三位一体を表しているのだという。

さて、三位一体とは?
「三位一体の神」は人間の知恵を越えた方である。
三位一体の教えは、私たちに完全には理解できない神の真理である。
ん~~????これはなんだ。
ますますわからなくなった。

なんの抵抗も受けずにあっというまに、キリスト教を広めるとは、よほどの人だったのだろう。
今でも聖パトリックの命日である3月17日は、シャムロックにちなんだ緑を身に着ける。
世界中のアイルランド移民の子孫は、この日はお祭りだ。
Ada(私)の英語の先生は、アメリカ人だったけど、パトリックデイには緑色のケーキを作ってくれた。

聖パトリックの持っているクローバーはアイルランドのシンボルマークになっている。
三つ葉のクローバー、シャムロックはアイルランド国花なのだ。
アイルランドのおみやげは三つ葉のクローバーで飾られている。
アイルランドの飛行機、エアリンガスの尾羽には、三つ葉のクローバーが描かれている。

タラの丘への入口のところに、由緒ありそうな建物があったが、旧聖パトリック教会だとのこと、裏のほうにはお墓もあった。

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タラの丘は聖パトリックに見守られていた。
ここからタラの丘に入る。
羊のフンを踏まないように下を見て注意しながら歩く。
今の時間にはまだ羊は出動していない。

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なだらかな丘をゆるゆると歩いていくと、ほこらが見えてきた。

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古代の羨道墳(通路のある墓)とのこと。
新石器時代のものらしい。
中をのぞいてみよう。

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案外、奥行きもなくて小さいし、なにもない。
有史以前のお墓が残っているということは、ここがアイルランドで最も大切な場所だからなんだろうか。

この古墳は、ケルト人が作ったものではない。
ケルト人がやってくる、はるか前のものだ。
アイルランドは紀元前200年のころ、ヨーロッパ大陸からケルト人がやってきて、旧住民は滅ぼされてしまった。
にもかかわらず、旧民族の墓を、なぜ保存してきたのだろうか。

ここは人質の丘、と呼ばれている。
紀元2,3世紀のころ、ケルト人のコーマック王がここに人質をおいていた、ということだが、記録があるわけでもなく、伝承や神話という形で、現世まで、そのことが伝えられていること自体が驚くべきことだ。
アイルランドは妖精の国、神話が多いというが、なるほどね。


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スカーレット・オハラの心のふるさと、タラの丘 [アイルランド]

いよいよタラの丘の心臓部にやってきた。

運命の石と石碑が並んで建っている。
タラの王を選ぶとき、選ばれた王が王の正当性を示すためにこの運命の石である『ファルの石』に触れる。
王に応しいものが触れると石が雄叫びをあげるという。
私たちご一行様はみんな、この石に触れてみたが、石は静かに佇んだままだった。
写真奥は、運命の石、手前は石碑。
1791年、英国支配に対するユナイテッド・アイリッシュメンがここに集まった。
その後、慰霊碑が建てられた。

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では、ここで私も記念写真を。
帽子をかぶった影が私、エイダです。

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晴れた日には、ここからアイルランドの70%が見渡せるという。
今、晴れてますけどね。

1843年には、英国支配に対して昂然と戦った英雄、ダニエル・オコンネルが、ここで演説したという。

お、なんだか妙な木がある。
日本のおみくじを結びつけたような感じ。

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これは、妖精の木と呼ばれているそうだ。
願いを込めて身に着けているものを木に結ぶのだそうな。
木はサンザシ。

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どんなものが結び付けられているんだろう。
サンザシの実がなっている。
今は9月だから、大地は緑でも、季節としては実りの秋ということね。

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タラの丘には、ケルト十字の碑もあった。
十字架に丸く円をくっつけたのがケルト十字と言われているもので、アイルランド特有のものらしい。

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スカーレット・オハラの心のふるさとを訪問できて満足だ。
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラはアメリカ、アトランタのタラ農場で生まれ育った。

20年以上も昔、アトランタにある映画の撮影場所に行ったことがある。
そこには、スカーレットの住んでいたという家があった。
その家の前に、大きなタイサンボクがあって、その木は英語ではマグノリアということを、教わった。
しかし、モクレンも英語ではマグノリアだし、英語では、あんまり植物の名前を区別しないことに、驚いたものだ。

そのマグノリアのあった場所がタラ農場である。
なにもかもなくしたスカーレットが、最後につぶやいた言葉、
「タラへ帰ろう」
これは、タラ農場のことだと思っていたが、もっと深い意味があったのだ。
スカーレットの父親は、アイルランドからの移民だったのだ。
だから、タラへ帰る、ということは、心のふるさとである、アイルランドのタラを指す。

アイルランド移民は、世界中に散らばり、いまや、アイルランド本国よりも、はるかに多いアイアルランド系移民がいる。
タラの丘は、世界中のアイルランド系人種の精神的な中心地である。

アイルランドの人口は459万人(2013年)。
アイルランド系アメリカ人は、約3,600万人(総人口のおよそ12%)。
現在、全世界にはアイルランド系の人々が、およそ7000万人いると言われている。

つまり、アイルランド本国の15倍ほどのアイルランド系が世界中に散らばっている、ということだ。
このことは、アイルランドを理解する上で、重要なポイントになるのではないか。
ヨーロッパの辺境に位置しながら、英国支配に立ち向かい、北アイルランド紛争でももちこたえて、国家が存続できているのは、米国をはじめとして世界中のアイルランド系が本国を支援している、ということではないか。


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