ケニア・タンザニア旅行記ことはじめ [ケニア・タンザニア]
今年、2011年の1月終わりから2月にかけて、ケニアとタンザニアに行ってきた。旅行社の団体ツアーに参加した。
お気楽旅行、3食昼寝つきのぜいたく旅行だった。
サファリが主な目的なので、動物の写真が多い。動物は、動いているので、同じ写真はなく、枚数がやたらと多い。風景と違って、その瞬間は、2度とやってこない写真ばかりである。だから、写真を捨てることができず、内臓ディスクの膨大な領域を占有して、動物の写真が収まっている。
この整理もしたい。
さて、この時期にサファリツアーを選んだのは、ちょうど出産ラッシュで、動物のベイビーに出会うことが期待できるからである。
サファリツアーは目的によって時期が異なる。ヌーの川越の時期、ヌーやシマウマの大集団がケニアにいる時期、あるいはタンザニアにいる時期、赤ちゃんが見られる時期など。
下の写真は、最初の宿泊地であるナクル湖で、夕食前のくつろいでいるときに、撮った。
遠く眼下にはナクル湖が広がっている。明日の朝、行くことになっている。フラミンゴの集団がいるはずだ。
目の前で繰り広げられる野生のドラマに暗くなるまで見入ってしまった。
砂漠の国、カタールは雨だった [ケニア・タンザニア]
2011年1月18日の夜、成田を出発し、ナイロビに向かう。途中、関空にも停まり、カタールのドーハで、飛行機を乗り換える。
成田を夜、出発する西回りの飛行機は、ずっと暗闇の中を飛ぶ。
ドーハに着いたのは、翌日の現地時間で、明け方5時ころ。まだ外は暗い。飛行機の窓から空港をながめて驚いた。雨で路面がぬれている。
カタールは、アラビア半島にある国だ。サウジアラビアのお隣。
砂漠の国で、雨に出会うなんて、なんとラッキーなんだろう。年に数回、降るらしい。お年玉年賀はがきで当たるより低い確率だ。
ナイロビに向けて、ドーハを飛び立ったのは、2時間後、7時過ぎだ。明るくなってきた。座席は、窓際。しかし、ドーハの町を眺める間もなく、飛行機は、厚い雲に包まれてしまった。
しばらく飛んだ後、ようやく、雲がなくなり、いよいよお楽しみの下界ウォッチングタイム。
景色は、茶色の砂漠ばかりだが、まん丸の模様がみえる。
砂漠の上空を通るときは、よく見かける。スプリンクラーで水をまいているところだけ、畑になっているのだろう。
次は、砂漠の町。緑がまったく見えない。人工的な四角ばかりで作られている。きっと石油のための設備なんだろう。
砂漠の上に雲がかかっている。おもしろい風景だ。右上は、飛行機の羽。茶色の地面に、雲の陰が黒くなっている。
エチオピア上空あたりだろうか。湖がみえる。
ときどき町がみえるようになってきた。ナイロビに近づいているのだ。
ナイロビに到着したのは、お昼過ぎ。ナイロビは快晴。
ナイロビから早速、サファリカーに乗る。4人か5人ずつで分乗する。
ナイロビは、どこも見学しないで、そのままナクル湖をめざす。170kmほど走るのだが、道路事情があまりよくないので、ナクル湖到着は、夕方の5時を過ぎた。
途中で、大地溝帯、グレート・リフト・バレーで、写真ストップ。
山の間の盆地に見えるのが、地溝帯。
イスラエルやヨルダンのある紅海から、アフリカ南部まで続く地球の割れ目なんだそうだ。全長4000km、幅50km前後。何万年かの未来に海になるのかも。
車から見た、町の子供たち。おそろいの制服におそろいのリュックサックを背負っている。学校帰りかな。とても可愛い。
ナクル湖国立公園のロッジに到着 [ケニア・タンザニア]
夕方5時半ころ、ようやくナクル湖国立公園のラネット門に到着。今夜の宿泊先のロッジは、この公園の中にある。
ナクル湖はフラミンゴの棲息地として有名だ。フラミンゴを見るために、世界中から観光客がやってくる。
公園の入り口といっても、公園全体が、囲われているわけではなく、動物は自由に出入りできる。人間も自由に動けるのだが、道路がないし、歩こうものなら猛獣の餌食になるだろう。
ゲートの門扉はサイに切り抜かれている。サイも棲んでいるのかな。
入園手続きの間、車を降りて、まわりを眺める。
なにげなく、角が置かれている。
木をよじのぼって、ブーゲンビリアが咲いている。
さて、車は、林の中をロッジに向かう。途中でシマウマをみつけて喚声をあげる。
林の向こうに見えるのが、ナクル湖だ。フラミンゴらしい鳥も見える。シロサイもいた。サルの群れも見えた。バッファローも見えた。だが、車は白煙をあげて、走り去る。今は、動物ウォッチングタイムではないのだ。
夕方6時近くに、ロッジに到着。ケニア最初の宿泊地だ。
下の写真は、ロッジの食堂やロビーのある建物。泊まる部屋は、平屋の長屋風になっていて、1軒ずつ外から直接部屋に入る。
ロッジは食事も含めて、ほぼ完全にヨーロッパ仕様。サファリは植民地時代のヨーロッパの金持ちの遊びであったことを思い知らされる。
部屋から食堂にいく途中には、巨大な木があり、ブーゲンビリアにのっとられていた。この木は、葉がなくサボテンのようなたたずまい。