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ピンカスシナゴーグ ~壁の模様は犠牲者の名前 [ウィーン・プラハ]

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ここはプラハでは2番目に古いユダヤ人教会のピンカスシナゴーグの入り口。
ここで、ユダヤ人の関連する教会と墓地のチケットを買って、ひとまわり。

この裏手に先日、ご紹介したユダヤ人の古い墓地があります。
墓地はそのままの状態で保存されています。

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このピンスシナゴーグは、現在、ユダヤ人犠牲者の記念館になっています。
上の写真の右手の壁には、ナチスの強制収容所で殺害された7万7千297人の名前と生没年月日が書かれています。

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ステンドグラスはシンプルで美しい。

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ドアの飾りも、鍵穴も、六角形のユダヤのマークが入っています。

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ここは、日本人はあまり来ないようですが、観光客は大勢。
フランス語らしかったけど・・・

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ユダヤ人が儀式を行うために建てられた「儀式の家」。
現在は、ナチスの強制収容所に送られた子供たちの絵が展示されていました。

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中世の匂いの漂う一角でした。
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スペインシナゴーグ ~アルハンブラ宮殿に似たたたずまい [ウィーン・プラハ]

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プラハを旅行したのは、4月の中旬、ちょうどレンギョウの花盛りでした。
この建物は19世紀に建てられた新しいシナゴーグ(ユダヤの教会とか集会所の意味)。
スペイン系のユダヤ人がプラハで最初に建てたシナゴーグの跡地に建設されています。

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右はスペインシナゴーグ正面から。周辺の建物もおしゃれ。

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スペインシナゴーグの中は、豪華絢爛。
パイプオルガンもありました。
残念ながら撮影禁止でしたので、ステンドグラスだけ。

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これは「新旧シナゴーグ」という変わった名前の建物です。
1270年に建てられた、ヨーロッパのゲットーで一番古いユダヤ人教会です。
そこに、16世紀になって新しく建て増しされた部分が一緒になっているので、新旧の名がついているとか。

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17世紀に起きた30年戦争で、プラハを襲ったスウェーデン軍をユダヤ人たちが防御したことの記念として建てられた建物。
建物のてっぺんが十字架ではなく、六角形のユダヤの印になっています。

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マイゼルシナゴーグです。
16世紀の神聖ローマ帝国皇帝のルドルフ2世に会うことが許されていたユダヤ人、シェムエル・マイゼルが、オスマン・トルコとの戦いで、皇帝に資金援助をしたことで、一財産を築き、そのお金でこのシナゴーグを建てたとか。

プラハは、13世紀のころ、ボヘミア(チェコ一帯)を統治していたオタカル2世がユダヤ人保護政策をとったため、多くのユダヤ人が移り住んできたといいます。
その後、ユダヤ嫌いの王による大虐殺があったものの、16世紀には神聖ローマ帝国皇帝であるハプスブルク家のルドルフ2世が、ユダヤ人差別を禁止しています。
また、18世紀、マリア・テレジアの息子で神聖ローマ帝国の皇帝であるヨーゼフ2世の時代には、プラハ市内のひとつの地区となり、そのために、ユダヤ人が感謝の意をこめて、この地区をヨゼフォーと名づけ、今に至っています。

2000年にわたるユダヤとヨーロッパとの関わり方は、日本人の草食動物的な感覚では理解しきれないものを感じます。


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プラハ、パリ通りのアールヌーボー建築 [ウィーン・プラハ]

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ユダヤ地区に立ち寄ったのは、もともとはアールヌーボーの建築を見ながらミュッシャ美術館まで歩く計画をたてていたからでした。
思いのほか、ユダヤにまつわる墓地や展示物に時間を費やしてしまいましたので、おばさん2人組は、少しピッチをあげて歩き始めました。

このあたりは、建物がとにかく垢抜けているのです。

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右側の建物は、基調の色が、濃い灰色という珍しい色になっていますが、ところどころに赤を配して、印象的に仕上げています。

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入り口を飾る裸婦像。こんな玄関、見たことがありません。

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すっきりとした印象の建物ですが、真ん中あたりに極彩色のメダル風の絵が入っています。

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天井を支えているアトラスの像があります。
力強いデザインの建物です。

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建物は、ウィーンより一段と垢抜けています。
色、デザインともに素晴らしい。

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ウィーンに似ていますが、ウィーンよりしゃれた町並みです。
それに人もウィーンの倍以上歩いています。

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19世紀後半、ユダヤ人のゲットーが過密になったので、取り壊して、新しく作り直しました。
そこでできたのが、この地区のきれいな建物の数々です。
通りの名前もパリ通り。
ウィーンをめざすのではなく、パリをめざしているところが、ウィーンのハプスブルク家に支配されていたプラハの人たちの思い入れとしてあらわれています。


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