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小学唱歌「庭の千草」のふるさとアボカ  [アイルランド]

キルケニー城から聖カニス大聖堂までキルケニーの目抜き通りを歩いて見学した。雨に降られたが、赤い八重のベゴニアが元気に濡れていた。

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さて、キルケニーから、バスで1時間半ほど揺られ、アボカという小さな村で昼食を取った。アイルランドでは観光で有名な町らしい。

「地球の歩き方」にはこの町のことはまったくふれられていない。なぜなんだろう、と思って「地球の歩き方」を再び詳細にみていく。それで、なぜアボカが日本のガイドブックにないのか、推測してみた。

アボカはこれから訪れる観光地グレンダーロッホの南にある。ダブリンは北にある。日本からの観光客のほとんどは、グレンダーロッホを訪れるが、たいてい日帰りで、ダブリンを拠点に行動する。となると、グレンダーロッホからさらに遠くまで足をのばさねばならなくなって、旅程を組みにくくなる。それに、日本人からみると、大きな目玉となる観光資源がない。

アボカはのんびりできそうな小さな村なので、ぜひ、ゆっくりと滞在したいものだ。

昼食のために、1608年創業というホテルWooden Bridge Hotelのレストランに入った。素敵な名前のホテルだ。
雨はひどくなるばかり。外のシクラメンの鉢植えをガラス窓越しにみると、なかなか風情がある。雨もいいものだ。

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メインディッシュは大体いつも同じだが、今日はめずらしくポークが出てきた。ポテトは毎食、欠かさず出てくる。このときは下の写真のように、マッシュポテトとゆでた小さなポテトが2種類出てきた。いつもあきることなく、おいしい。

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デザートはシュークリーム。

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アボカの村を車窓から眺める。なかなかいいところだ。水と緑が素晴らしい。

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アボカの村からバスで少し走ったところに、ミーティングオブウォーターという場所がある。アヴォンモア川とアヴォンベグ川が合流する地点だ。下車して、その合流地点に立っている。

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アイルランドの川はどこもそうだが、流れが結構速い。しかし、急流ということでもなく、平地の多い国土をとうとうと流れている。日本の河川とはずいぶん、趣が異なる。日本は狭い陸地でしかも高い山があるので、岩をくだくような流れ方になる。平野部でも広い河川敷がないと、一気に急増する水量に追いつかない。

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ここには、トーマス・ムーアの石碑もあった。
「アボカの美しい谷よ。最愛の友と緑陰に抱かれて、この上なく静かに憩う。ここでは冷たい世の嵐も吹きすさぶこともない。せせらぎのようにわが心は平和にひたる」
と書いてあるそうな。

トーマス・ムーアというのは「庭の千草」の歌の作者だ。
「庭の千草も、むしのねも、
かれてさびしく、なりにけり
あゝしらぎく、あゝ白菊、
ひとりおくれて、さきにけり」
という、日本人がよく知っている歌だ。

この歌は、アイルランド民謡で原曲は「The Last Rose of Summer」。 明治17年刊行の音楽教科書「小学唱歌第3編」で紹介された。原題はバラであるが、日本では白菊と翻訳されている。

明治17年に、なぜ、アイルランド民謡が、小学唱歌として、教科書に登場したのか、本当に不思議だ。

この曲を選定したのは、ルーサー・ホワイティング・メーソンという人物だ。彼は、明治政府によってアメリカから招へいされている。

明治5年(1872)に発布された「学制」によって、学校の科目に「唱歌」が加えられた。歌が情操教育に重要であることを認識されたのだ。いったい、だれが明治政府を動かしたのだろう。
同じく明治5年、在米日本公使館の初代代理公使だった森有礼は、イーヴン・トゥルジェーという人に日本で音楽教育ができる人をさがしてほしい、と頼んでいる。その結果、メーソンが選ばれたらしい。メーソンは米国の人なのだが、アイリッシュ系ではないかと思って調べてみたが、出自はわからなかった。

なぜ、森有礼は、そのようなことをしたのだろうか。誰からの指示で動いていたのだろうか。この疑問に答える記述をさがしてみたが、今のところどこにも見当たらない。

明治4年から明治6年にかけて岩倉使節団が米国を経て、ヨーロッパを回覧している。ワシントンでは、使節団に同行した津田梅子たちも、森有礼に会っている。このときに、岩倉使節団は、森有礼に音楽教育の人材探しを依頼したのではないだろうか。時期的にも符合するのである。

岩倉使節団のミッションに、日本で音楽教育ができる人材探しもあったのではないだろうか。岩倉使節団は、各地で、学校を訪問しており、子供たち全員がそろって歌っていることにいたく感動している。歌が国民の統一に寄与することを意識してのことだったのだろうか。

明治時代の唱歌に、外国の歌が多く入っていることは、興味深いものがある。「仰げば尊し」、をはじめ、スコットランド民謡の「蛍の光」、ドイツ民謡の「ちょうちょ」、ジャン・ジャック・ルソー作曲の「むすんでひらいて」、ウェルナーの「野ばら」などなど。「仰げば尊し」は、「Song for the Close of School」という楽曲として、1871年に米国で出版された楽譜に収録されているそうだ。私たちが、なつかしく歌うものは、アイルランドやスコットランドで歌われていたメロディだったのだ。

そのトーマス・ムーアがこよなく愛した土地は、散策できるように整備されている。風景もどこか日本に似ているではないか。たが、雨が降っていたので、早々に引き揚げた。

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トーマス・ムーアの石碑やしっとりとした落ち葉をカメラにおさめたのだが、傘を持ちながら撮ったので、どの写真もぶれがひどくて、お蔵入りばかりだった。雨の日のカメラは、さらなる研さんを要するわ。


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