山奥の湖の岸辺にたたずむカイルモア修道院の風景を楽しむ [アイルランド]
スライゴからゴールウェイに行く途中に、コネマラ国立公園がある。カイルモア修道院は、その公園の中に位置している。建物が森と湖にとけこんで、絵のように美しいことで、人気の観光スポットになっている。
このあたりは、カイルモア渓谷と呼ばれている。建物は、現在ベネディクト派の女子修道院になっているとのこと。ベネディクト派と言われてもさっぱりわからないが、カトリックの修道会だそうだ。全寮制の名門女子高という感じらしい。
建物が見えてきた。風景がいいので、歩いていて気持ちがいい。
雲が低くたれこめているものの、雨は降らない。
近くまでくると、さすが立派。
アイルランドのどこでもみかけるフクシアの花を前景に記念写真を。
つたを前景にしたり、木の枝や木の実を前景にしたりして、何枚も写真を撮った。でもこういう風景は前景を変えても、あんまり代わり映えがしないものなのね。
いよいよ建物に到着。
建物のかどっこは、濃いめの石が積まれているため、建物がくっきりとみえる。これが、美しさの秘訣かも。
この建物は、1867年に、イギリスの下院議員だったマイケル・ヘンリーが別荘として建てた。彼は、マンチェスターの大富豪だったらしい。妻のためにこの城館を建てた、という美しい愛情物語で語られる。
しかし、1845年からアイルランドは食糧飢饉に陥り、この建物を建てた当時は、800万人を超えていた人口が、600万人を切るところまで、減っている。人口は、その後も食糧不足やそれによる海外への脱出で、減り続けているのだ。
アイルランドの人たちが飢えに苦しみ、亡くなっていく中で、こういう豪邸を建て、イギリスからはるばると馬車をしたてて、ここカイルモアの別荘まで家族でやってくる無神経さはどういうことだろう。
下はWikipediaから。アイルランドは19世紀に人口が減少した唯一の国ではないか。
建物は、その後、人手に渡り、最後は、第一次世界大戦で焼け出されたベルギーのベネディクト会の修道女が移り住み、1920年に全寮制の女子修道院になった。
屋内の一部が見学コースとして公開されているが、これは、建てられた当時の様子を展示している。なぜ、アイルランドを飢饉に陥れたイギリス貴族の生活用具を展示するのか、とも思うのだが、ここの入場料などは、修道院の運営費用に充てられるとのこと。
おもしろいことに、ここの女子学生の制服をマネキンが着ていた。だけど、なんで髪が黒いの?
少し離れたところに教会があるというので行ってみた。
この城館を建てた貴族の最愛の妻が、1874年にエジプト旅行中に熱病で亡くなり、そのために教会を建てて葬った。ということは、イギリス貴族だからアングリカン・チャーチになるのかな。だけど、今はこの修道院はカトリック系だし。建物を壊さないで宗旨を変えることはできるのかしら、などなど新たな疑問がふつふつと湧いてくる。
室内は簡素にみえるが、お金をかけたことがなんとなく伝わる。
そのひとつが、この地の特産品であるコネマラマーブルをふんだんに使った柱。
鮮やかなステンドグラス。
教会はみんなの寄付を募って造るからぜいたくになるのはわかるが、個人でもこれだけお金をかけることができたのね。イギリス貴族の当時の金持ちぶりは半端じゃぁないですね。
さて、また来た道を戻る。観光客がぞろぞろと歩いている。
神代植物園の名物、パンパグラスがこんなところに生えている。以前写真を撮って調べたものは結構頭に残っている。これ、西洋すすき、というのが別名だから、こちらが本家ね。
お昼は修道院付属のレストランで食べる。修道院の人たちが作っているそうだ。
ベネディクト派は、共同体生活、謙虚、禁欲、典礼の実行、知的訓練(読書、著述)、手仕事(写本、彩色)や農作業などの労働時間を加味した日課を励行している、とのことなので、このレストランもそのひとつの宗教行為ということかしら。
それにしても食事の量が多すぎ。スープ、キッシュ、クリームたっぷりのデザートのどれもおいしかったが、食べきれなくて残念なことをした。
最後にもう1回、城館を。写真を整理していて、城館の写真の多さにへきえきしている。
これはナナカマドですね。
トリトマももう一度。
陽がさしてきて、バスから城館がくっきりとみえた。
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