マゼラン海峡を渡る [パタゴニア]
12月1日
マゼラン海峡とともに発展し衰退してきた南米大陸最南端の町、プンタ・アレーナスを朝6時に出発する。
向かうは、マゼラン海峡の向こうのフェゴ島。さらには世界最南端の町ウシュアイアー。
マゼランは1520年の11月29日に海峡を抜けて太平洋に出ているから、ちょうど同じ季節にこの海峡にいたのだ。
太平洋に出たとき、なんと平和な海なんだろうということで、パシフィックオーシャンとなったそうだ。
そうか、パシフィックの語源はピースなんだ。
マゼランはその後、フィリピンのセブ島で1521年に殺される。
マゼランが乗っていた船は、さらに航海を続け、1522年9月6日にスペインに帰り着いている。
パナマ運河の開通が1912年、それまでの400年間にわたり、マゼラン海峡は大型船が去来する航路だった。
さて、そのマゼラン海峡を渡るために、バスで2時間ほど揺られて、海峡の一番狭いところまでいく。
2時間もかけるくらいなら、なぜプンタ・アレーナスから船に乗らないんだろう?
荒れる海を渡るためには、少しでもリスクを避けておいたほうがいいということかしら?
海岸沿いの道をバスで走るのは快適だからいいのだけど。
途中で休憩をとったところには、廃船が打ち捨てられたままになっていた。
19世紀にロンドンからプンタ・アレーナスへの航海中に遭難したとのこと。
100年以上もこのままの姿で打ち捨てられているのだ。
このあたりの建物は19世紀には、農場だったところで、今は廃墟と化していた。
パナマ運河開通とともにさびれていったようにみえる。
野犬もいて、なんとなくゆうれいでも出そうな感じがした。
こういうのも観光資源なのかなぁ。
荒れ狂うマゼラン海峡で戦った船、なんてね。
この海峡は、いつも荒れていることで有名だが、今日は静かだ。
フェゴ島が遠くに見えるようになった。
雲がパタゴニア独特の流れた形になっている。
灯台のあるところで、フェゴ島に渡る船を待つ。だが、どこが港なのかわからない。
お土産屋のひとつくらい、あってもよさそうなものだけど、な~んにもない。
それで、浜辺に出て、貝殻拾いをした。
間もなく、フェリーが見えてきた。
船の胴体にはPATAGONIAと書いてあって、なんとなくはしゃぎたくなる。
それにしても、大きなフェリーが波打ち際を走っているので驚く。すぐに深くなっているのだろうか。
船に乗るからバスに乗るようにガイドさんから言われる。
バスに乗ったまま、船に乗るらしい。
なにが起きたのかわからないまま、船に滑り込み、その後、バスを降りて、船のデッキにいくと、さっきまで遊んでいた灯台が見えた。
なんと桟橋もないまま、船の壁を倒して陸地に下ろし、そこを通ってきたのだ。
フェリーほどの大きい船でもそういうことできるのねぇ。
南米大陸が遠ざかる。
船は20分ほどで、対岸に到着した。あっという間だ。降りるときもバスに乗って降りた。
そのまま、バスは走り続けたので、記念すべきフェゴ島上陸の瞬間を撮影する間もなかった。
フェゴ島には、このフェリーで大陸側に渡るトラックが並んでいた。
ここが港!!!
写真の手前は船。
下の白い四角はトラック。その向こうに見える茶色の壁を岸に渡して道路にする。
フェゴ島に上陸したものの、風景は大陸とあまり変わらない。
荒野をグァナコが集団で歩いていた。
お、ガウチョがいる。
羊は連れていない。
犬5頭と馬3頭が1セットで商売道具らしい。
ガウチョはあちこちの牧場を渡り歩いて羊の毛刈りをしていくのが商売だ。
下の写真、まるで映画の1シーンのよう。
この写真はお気に入り。
渡り歩くガウチョの一休み風景。
このあたりで、私たちご一行様もバスをとめて、お弁当の昼食をとった。
しばらくすると、また別のガウチョがいた。
今度は馬が2頭だ。
珍しく家があった。
このあたりの地主らしい。
たんぽぽの咲き乱れる野原だけど、ほかにはなにもない。
フェゴ島は、九州ほどの大きさだが、チリとアルゼンチンの両国に二分されている。
チリ側からフェゴ島に入り、真ん中で、アルゼンチン側に入国する。
チリの出国は入国よりもはるかに簡単だ。
12kmも続く国境の緩衝地帯の途中までくると、アルゼンチンの看板があった。
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